日銀は6月15、16日開催の金融政策決定会合で追加緩和を見送り、金融政策の現状維持を決定した。結果が発表された後、円高・株安が一段と進んだわけだが、この現状維持決定の理由になったと考えられることについて考えてみる。
筆者のみるところ、現状維持決定の要因は以下の4つである。
6月16日の金融政策決定会合で、追加の金融緩和を見送った日銀の黒田東彦総裁。(写真:ロイター/アフロ)
【1】英国EU離脱投票の時期に緩和を行ってもムダ
EU(欧州連合)に残留するかそれとも離脱するかを問う6月23日の英国民投票などを材料に、市場が「リスクオフ」の方向に大きく傾斜していたため、こうしたタイミングで市場のセンチメントに逆らうように追加緩和を行っても、円高阻止・株価てこ入れという点では、数が限られている追加緩和カードの「無駄使い」「空振り」に終わってしまう恐れが大きい。
1月29日の「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」導入決定は、そうした失敗の前例と言える。中国経済への不安・不信と原油価格下落の2つを主な材料にして、市場のセンチメントが「リスクオフ」に大きく傾いていたため、日銀のマイナス金利導入は「多勢に無勢」の様相を呈し、円高阻止・株価押し上げ効果はほとんど出なかった。
【2】マイナス金利政策の効果を、まだ見極める必要がある
2月16日に実行に移されたマイナス金利政策による刺激効果が住宅投資や設備投資に及んでくるのを「数カ月」見極める必要があるという説明を、黒田東彦総裁をはじめとする日銀幹部は何度も行ってきた。
このため、為替が一段の円高ドル安になるというような抜本的な状況変化でもない限り、7月1日に発表される日銀短観(全国企業短期経済観測調査)6月調査の内容、特に2016年度設備投資計画の修正動向などを確認するまで追加緩和には動かないのが、首尾一貫性のある行動である。
【3】「マイナス金利幅拡大」のカードは使いにくい
「3次元」の金融緩和のうちマイナス金利については、民間金融界から強く反発する声が出ており、少なくとも当面はマイナス幅拡大という追加緩和カードは使いにくい。
この関連で下記の報道が出ており、大いに注目される。マイナス金利幅拡大が銀行収益に及ぼす悪影響を緩和するための手法として、ECB(欧州中央銀行)が3月に導入を決めたTLTRO2(新たな貸出条件付きの長期資金供給オペレーション)のような仕組み作りを日銀は模索したが、貸出金利低下に拍車がかかる恐れがあるなど収益にネガティブだとして、民間金融界は強い反対姿勢をとったようである。
「マイナス金利、日銀と隙間風=金融界が露骨にけん制」(6月14日 時事通信 より)
「大手銀行関係者によると、日銀は4月の決定会合を前に、民間金融機関への貸出金の一部にマイナス金利を適用する追加緩和策を模索した。日銀から資金を借りた銀行が利息をもらえる案だ」
「これを察知した各行は『銀行も融資先に利息を払って貸さなければならなくなる』と危機感を募らせ、反発を強めた」
「4月会合で日銀はこの案を見送ったが、黒田東彦総裁は『金融政策は金融機関のためにやっているものではない』と述べ、金融界の損得に縛られない姿勢を強調した」
(中略)
「『日銀へのお付き合いはもう限界』。別の大手銀幹部も胸の内を明かした。日銀が異次元緩和路線を突き進めば、その副作用が直撃する金融界との亀裂が深まるのは避けられそうにない」
【4】「戦力の逐次投入ゲーム」は回避する
1月29日の前回追加緩和から半年も経たないうちにまた緩和を上乗せするとなると、インターバルが短すぎる。白川方明前総裁在任中の2010~12年のように「戦力の逐次投入ゲーム」に日銀がはまってしまい、追加緩和「催促相場」が今後、頻発する恐れがある。
だが、「物価安定の目標」2%の達成がきわめて難しい上に、為替のトレンドが円高に転換したことを考慮すると、日銀が年内に追加緩和に追い込まれる可能性は、きわめて高い。
今回の会合前には中原伸之元日銀審議委員による「もう一度、量に戻ったらよい。2019年度末までに名目GDP(国内総生産)を600兆円にするため、日銀は長期国債保有残高の年間増加ペースを現在の80兆円程度から100兆円程度に増やすべきだ。技術的には全く問題ない」という発言を、ブルームバーグが報じた。
さらに、「国債も100兆、150兆ペースで買い増すことだってできる」との、日銀幹部による強気の発言が報じられている(6月13日 日経QUICKニュース)。
黒田総裁率いる日銀は、緩和強化路線を突き進む方針を堅持するだろう。筆者を含む多くの債券市場関係者が憂慮する「不毛なマネーゲーム」は、今後もまだまだ続きそうである。
「ヘリコプターマネー」の発想の根底には「逃げ」
そうした中で、金融政策と財政政策をミックスした新たな景気刺激策として政策議論の俎上に乗ってきたのが、「ヘリコプターマネー」である。
先進国の経済が「低成長・低インフレ・低金利」時代に足を踏み入れたことが徐々に明らかになりつつあり、経済政策の論議において過激な提案がなされることが近年目立つようになっているわけだが、「ヘリコプターマネー」はその典型例。中央銀行が何らの形で財政ファイナンス(国債の引き受けやこれに近い行為)を恒久的に行って資金を世の中に供給し、景気・物価を刺激しようとするアイデアである。
このアイデアについて筆者は、①つらく厳しい財政健全化のプロセスをなんとか回避できないかという「逃げ」の発想が根底にあるとみなしている。日本の場合、日銀が実態としてマネタイゼーションをすでに行っている現状を追認することにより、正面から取り組む場合は非常に困難な異次元緩和からの「出口」の議論に、一見するとたやすいが実はきわめて危険な「近道」を提供するという文脈で考えることができる。
一種の「性善説」に立ち、「ヘリコプターマネー」乱用は財政規律の観点から避けられるはずだという前提を置くことは、実に危うい。その通貨に対する信認が決定的に失われてしまい「キャピタルフライト」(資本逃避)が発生するという、最悪の事態を想定することが十分可能である。
また、②金融緩和と財政拡張の限界が多くの先進国で意識される中、従来の常識を乗り越えることによって「低成長・低インフレ」の問題を一挙に解決しようとする「実験的な飛躍」とでも呼ぶべきコンセプトから出てきたアイデアだと整理することもできる。
日銀の当座預金残高は、2001年3月の58倍以上に
こうした政策論議の過激化を眺めていて、筆者が痛感せざるを得ないのは、リスク感覚がいかに麻痺してしまったかということである。
日銀の当座預金残高は6月15日、290兆円を超えた<図1>。むろん過去最高である。2001年3月に量的緩和が導入された際の当座預金残高は、5兆円程度にすぎなかった。58倍以上になり、今後も増え続けていくということを、当時誰が想像し得ただろうか。
ある機関投資家の方が先日、ディスカッションの中で、「これまでになく厳しい運用難に直面する中でやむなく新たなリスクをとっていくと、『ここまでとったのだからもう少しだけいいか』という発想に陥りやすく、危うさを感じる」とおっしゃっていた。
資金運用の場合は、自己責任原則があり、かつリスク管理もしっかり行っている個別社の問題である。だが、国の経済政策、具体的には日銀の金融政策で、「リスクを積極的にとっていき、ふと後ろを振り向いたら、最初の頃はまったく考えていなかったほど遠くまで来てしまっていた」となると、これは国民全体の将来に影響してくる、実に深刻な問題である。
「アベノミクス」は、もっぱら「マネーの力」に期待することで、デフレ脱却・物価目標2%達成を目論んできたと言える。だが、日銀の実験的で大胆な金融緩和は、2013年4月の開始から3年以上の月日が経過しても、目に見える成果を挙げることができていない。
日銀が量的・質的金融緩和に突然付加したマイナス金利政策に対しては、民間金融機関などから、強い反発の声が出ている。「銀行の銀行」であるはずの日銀が、お膝元の民間金融機関の収益に、過度の圧迫を加えている。経済の「血液」であるマネーの循環を司るセクターの機能低下につながるアクションは、日本経済全体にとって明らかにネガティブであり、マイナス金利は早急に解除すべきだと、筆者は主張し続けている。
経済低迷を打破するには、滞在人口の増加が必要
政策の面では、筆者は以前から人口対策重視論者である。経済の長期停滞を打破するには、日本の国土に居住・滞在している人の数を増やす策(滞在人口増加策)の強力な展開が不可欠である。そうした筆者の主張のうち、観光政策の強化(インバウンド消費の拡大)は、安倍内閣の下で大きな成果を挙げている。
だが、観光客は一時滞在であり、野球に例えれば「リリーフピッチャー」にすぎない。それがうまくいっている間にすべきことはたくさんあるのだが、円高や中国の関税引き上げなどにより、インバウンド消費には息切れ感が最近漂い始めた。貴重な時間をまた空費してしまったのではないか。そう思わざるを得ない。
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