とはいえFCVに関しても、日産はHVと同様のアプローチをつらぬく。日産のFCVに対する方針は、2025年のゼロエミッション車16%に向けて、主流のEVビジネスを拡大することの表明である。

FCVの紆余曲折

 では、これからFCVがどれだけ進化するかというと、いろいろなケースが考えられるだろう。それを占ううえで、これまでのFCVの発展の過程を振り返ってみる。

 筆者が在籍していたホンダで燃料電池の研究がスタートしたのは、基礎研究を担う和光研究センターが開設された1986年、すなわち30年前のこと。当初は定置型発電システムの研究から始まったものの、ZEV規制発効後の1995年以降にFCV開発を目的として戦略の転換を図ったのである。

 そのホンダもトヨタに追随する形で市販したFCVによって技術力の高さを示したことになる。そうすることでFCVの主導権は完全に日本が握ることになった。

 それ以前では、1990年代前半から欧州では独ダイムラーが、米国ではゼネラルモーターズ(GM)が、FCVに関して日本勢より積極的に取り組んでいた。恐らく、この2社が世界で初めて量産を開始するだろうと予測していた関係者は多かった。

 特に2001年には、第43代米国大統領に就任したジョージ・ウォーカー・ブッシュが、水素社会や水素エネルギーに傾注する戦略を打ち出したことで、水素に対する期待感が高まった。FCVに関してはZEVのクレジット係数がEVの10倍にまで高められた。すなわち、FCV1台の販売でEV10台分に相当する重みづけを付与したのである。

 そのころから、トヨタもホンダもFCVの開発を加速して行ったのである。日本勢の自動車各社は、一旦、方向性を定めると相当な勢いで開発を加速する。2005年ごろには欧米勢の勢い以上となって、プロトタイプのFCVの完成度では日本勢が世界をリードすることに代わった。トヨタもホンダも、究極のエコカーをFCVと位置づけ、来るZEV規制に適合させる戦略を描いた。

 しかし、情勢は激変する。2009年に第44代米国大統領に就任したバラク・オバマはブッシュ政権の水素社会戦略を踏襲せず、再生可能エネルギー戦略を打ち立てた。そこには二次電池を主体とするエネルギー戦略が組み込まれ、力強く進められていた水素社会の縮退を打ち出すこととなった。

 その結果、FCVに対するZEVのクレジット係数は10分の1に下げられ、EVと等価になった。大きなクレジット係数を利用してFCVでZEV規制に適合させようと目論んでいたトヨタもホンダも当てが外れた格好となってしまった。

 1990年に発効した米国ZEV規制は、環境対策はもちろんあるにしても、日本勢の内燃機関自動車の躍進で勢いを失った米国の自動車産業の復活をエコカーで巻き返すという戦略を目論んでのことでもあった。よって、日本勢が先頭を走っているカテゴリーでは意味がなく、そこを排除しようと言う論理が働いたのも間違いではない。

 しかし、1997年にはトヨタ、ホンダ、日産がニッケル水素電池やリチウムイオン電池(LIB)の先進電池を搭載したEVを米国カリフォルニア州にいち早く供給。この時点で、米国カリフォルニア州大気資源局(CARB)の目算は外れたことになる。