ホンダが2016年3月に発売したFCV「クラリティ フューエル セル」(写真:つのだよしお/アフロ)

 昨今、電気自動車(EV)へのニーズが高まるにつれて、世界の自動車各社と車載電池各社が戦略的に事業化を進めている。それは遡れば、1990年9月に発効された米国カリフォルニア(CA)州のゼロエミッションビークル(ZEV)規制が発端となった。他方、燃料電池車(FCV)に関して言えばZEV規制が発端ではなく、数社の自動車メーカーが自主的に開発を進めてきたことの色合いが強く、現在に至っている。

 というのも、90年に発効したZEV規制は、CA州で販売台数の多い米国ビッグ3と日本のトヨタ自動車、ホンダ、日産自動車の6社に課したもので、98年から各社の販売台数の2%をEVにすべきという法規であったから、この時点ではFCVの開発が義務付けられてはいなかったのである。

 しかしそういう中で、独ダイムラーと米ゼネラルモーターズ(GM)は1990年初頭から自主的にFCVの開発を世界に先駆けて着手した。当時のホンダは、燃料電池の開発は定置用を主目的として、1986年に本田技術研究所・和光研究センターが創設されてからほどなく研究が開始された。すなわち、1990年初頭まではFCV用を目的とした燃料電池ではなかったのである。

 ただし1990年代初頭のダイムラーやGMのFCV開発は、世界の自動車業界に対して大きなインパクトを投じた。それがあっただけに、ホンダの燃料電池研究開発も定置型からFCVへ方向転換したのも事実である。

 しかし、当時のダイムラーを筆頭とするFCVの開発は、現在主流の「固体高分子膜型燃料電池(PEMFC)」ではなく、「直接メタノール改質型燃料電池(DMFC)」に集中していた。ところがDMFCの場合には、車両にメタノールを貯蔵し、オンボード、すなわち車両内でメタノールを改質触媒のもとで水素に改質するシステムであった。車両内で化学反応による改質を前提としたシステムは、システム自体が大きな容積を有すこと、車両が必要とする化学反応速度に追随できにくいこと、システムが複雑で高コストになるものであり、筆者としては当時から否定的にみていた。

 こういう表現をすると、読者の一部の方は結果論ではないかとコメントされるかも知れないので敢えて記述しておくが、筆者が1995年に出版した「自動車と環境の化学」(大成社)にもそのように記述している。結果として、ダイムラーもGMもDMFCの研究開発は断念し、さらには両社とも単独でのFCV開発には見切りを付けた格好になった。

 そもそも日本政府が2000年代中盤にFCVの普及⽬標台数として掲げた数値では、18年時点で200万台と設定されていた。しかし、これは全く現実味のない数値と化したことが現在立証されている。

 歴史を遡れば2001年には、第43代米国大統領に就任したジョージ・ウォーカー・ブッシュが、水素社会や水素エネルギーに傾注する戦略を打ち出したことで、水素に対する期待感が一気に高まった。FCVに関してはZEVのクレジット係数がEVの10倍にまで高められた。すなわち、FCV1台の販売でEV10台分に相当する重みづけを付与したのである。

 そのころから、トヨタもホンダもFCVの開発を重点的に加速していくことになる。2005年ごろには欧米勢の勢い以上となって、FCVのプロトタイプの完成度では日本勢が世界をリードすることになった。当時、トヨタもホンダも、究極のエコカーはEVではなくFCVと位置づけ、そして来るZEV規制に適合させる戦略を描いた。その時系列を以下の表に示す。

1990年代から現在に至るまでのFCVのトップリーダーの移り変わり

 しかし、情勢は激変する。2009年に第44代米国大統領に就任したバラク・オバマはブッシュ政権の水素社会戦略を踏襲せず、再生可能エネルギー戦略を打ち立てた。そこには二次電池を主体とするエネルギー戦略が組み込まれ、力強く進められていた水素社会の減衰をもたらすこととなった。

 その結果として、FCVに対するZEVのクレジット係数は10分の1に下げられ、EVと等価になった。大きなクレジット係数を利用してFCVでZEV規制に適合させようと目論んでいたトヨタもホンダも当てが外れた格好となることに。

 2018年から25年にかけてZEV規制でゼロエミッション車比率が高まることで、EVとFCVへの取り組みは強化される。ここに来て、勢いはEVに流れてきたと言える。これは、課題の種類や難度がFCVよりEVのハードルが低いからという見方である。また一方では、FCVではトヨタとホンダが2強で群を抜いた格好になったことで、特許に対する抵触等、他社が敬遠したことにもなる。