首相と都知事の教訓

 話を戻します。

 「説明が不十分」と言われる時は、言葉自体の不足ではなく疑問に向き合って答えていない時であり、問われているのは言葉ではなく、姿勢や資質です。

 そんな時に、どれだけ「重そうに聞こえる」「大げさな」言葉を使っても、信頼は得られません。

 首相も都知事も、記者会見で、批判を「真摯に受け止めている」と言いました。上の動画風に解釈するならば、それは「分かっている」程度の軽い意味で受けとめればいいじゃないか、ということでしょう。

 最近、あちこちの会議で「真摯に受け止める」という言葉が出ると失笑を誘う場面に出くわします。

 見る側も、繰り返し出てくる言葉は準備したセリフ、口語で使わない言葉や四文字熟語はごまかしの心理を表していると認識しています。

 会見で力強く語られた「はっきりとそう断言いたします」「お誓い申し上げます」といった言葉も信頼に足るものではありませんでした。

 「精査」し「厳しい第三者の目で」「公正で厳正な調査」をし「改めるべきは改める」。そして、「違法ではないが不適切」なものが含まれていたとの「大変厳しい指摘」を反省し、「粉骨砕身」働きますと。

 もしも部下の書いた反省文にこんな表現が出てきたとしたら、誰もが「やれやれ」と思い、その場しのぎだと呆れるはずです。

 首相と都知事が教えてくれた「信頼を失う言葉」とは、つまり「サラリーマン川柳」に使われるような言葉です。

 記憶には残るけれども、伝えるのは悲哀。それがサラリーマン川柳に選ばれる言葉の共通点です。

 精査して、新しい判断なら、支持はなし。

 ネット動画はアイデアの宝庫。それでは、また金曜日にお会いしましょう。