リーダーには使ってはいけない言葉があることを2人の政治家が教えてくれました。きっかけは、舛添要一東京都知事の「違法ではないが不適切」と、安倍晋三首相の「約束とは異なる新しい判断」という表現です。信頼を失う言葉として歴史に刻む教訓にすべきと考えます。

 冒頭から最上級の皮肉でたいへん恐縮ですが、政治でも政策でもない言葉1つで、政治のリーダーが信用を落とす、あるいは味方をも敵に回す可能性があることを感じたのは、コミュニケーションを生業にしている者としても衝撃的な出来事でした。それほど大きな威力のある表現だったということを今回は解説したいと思います。

 ネット動画はアイデアの宝庫、それではいってみましょう。

舛添会見で出た「違法ではないが不適切」

 まずは舛添都知事の「違法ではないが不適切」という言葉についてです。

 今年3月に高額出張費が問題になって以降、別荘のある湯河原への公用車私的利用、そして政治資金の使途、と疑惑が次々に浮上している舛添都知事。自らの正当性を主張し続ける中で、最終的に「第三者の厳しい目で」調査した結果を示すことで理解を得ようとしました。

 6月6日の記者会見で、詳細な支出それぞれについて弁護士が違法性の有無と適切/不適切を分類。全てにおいて違法性はないものの、一部不適切な処理があったことが明らかになりました。

 その際に注目されたのが、「違法ではないが不適切」という表現です。

 疑惑の追及が始まってから、舛添都知事はかなりの時間を割いて「説明責任を果たす」べく、説明を繰り返しています。4/28、5/13、5/20、5/27、6/3、6/6と毎週のように、記者会見で一連の問題への見解や認識を問われ回答している。にもかかわらず、「説明が不十分」「納得できない」と言われ続ける理由が、この「違法ではないが不適切」という言葉に凝縮されているのです。

 どういうことか。

 舛添都知事への不信感は説明の回を追うごとにエスカレートしています。もともと「ルール通りにやっている」というスタンスだったのが、自らの説明では埒が明かないため、第三者に調査を依頼することになりました。ある意味で合理的な判断だった訳です。ところがこれが、「説明責任丸投げ」と批判されました。

 そんな中で、疑惑に対する説明責任を果たす極めて重要な場だったにもかかわらず、「違法ではないが一部不適切なものが含まれていた」という総括で、終わりにしてしまった。

 彼としては「ルール通りにやっていた」という元々の主張の範囲内だったということです。

 いや、形の上では必要な情報がやりとりされてるんです。

 「不適切」なものは「厳しい指摘」と受け止めて反省し、世間の批判は「真摯に受けとめる」と言っている。そして「生まれ変わった気持ちで」「全力をあげて」取り組むと言っている。頭も下げている。何度も。

 ところがコミュニケーションとしては成立していない。

 それは、リーダーの資質としては致命的な「公私混同」を「不適切なものは是正する」として言葉の上で片づけてしまっているからです。

 「違法ではないが不適切」という言葉が「公私混同」を意味していることに向き合わずに、「違法ではないこと」に注目させて逃げる姿勢によって信頼を失っている。

 それを象徴するのが「違法ではないが不適切」という表現です。

 6月6日の記者会見はその意味で、大きな意味を持つ場でした。

 冒頭「1時間をめどに」と釘を刺し、知事による説明5分、弁護士2人による報告が34分。その後、知事による「けじめの表明」が7分を費やしました。ここまでですでに46分です。質問時間も「厳しい目」の弁護士が逆ギレ気味に対応するなどして結果的に22分しか取らなかった。どういう認識かを問われた知事は「厳しい指摘」と言うばかりで、まともに知事としての資質を問う世間の疑念に向き合おうとしなかった。翌日から都議会の代表質問がある、と視点を移して「逃げた」のです。

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