軽視された2つのポイントと予想される展開

 では、なぜここまで騒動が大きくなったのかについて、少し考えてみたいと思います。

 今回、対策を講じるにあたって、乙武氏とその関係者は2つの重要なポイントを軽視したのではないか、というのが私の見立てです。

 1つは、多くの人の下世話な好奇心を刺激したこと。人は気になることの情報を求め、メディアはそれを敏感に嗅ぎ取って報じます。

 今、検索エンジンで「乙武」と打つと、「性行為」や「性処理」、「どうやって」という言葉が自動表示されます。それだけ多くの人がそうした点に興味を示し、検索しているということです。

 そして、それが継続するメディア報道に大きく反映されている、ということです。

 もう1つは、乙武氏の不倫が「一時の過ち」ではなく、どうやら性癖である点です。

 ここで言う「性癖」とは、その人が持つ性質上の癖のこと。つまり、昔の問題や証言が次々と出てくるリスクのことです。

 不倫したのは5人だと言えば、5人以外の女性が現れるし、「妻に、今度こそ応えたい」と言っても、彼の発言のいい加減さを訴える証言が出てくる可能性が高い。

 実は身近でちょっとした雑談をしただけでも、彼はこのスキャンダル報道の直前に、予定していた合コンについて、「迷惑がかかるから」とメンバーに延期を申し出たという話が聞こえてきました。「中止ではなく延期だって」と笑い話として伝わってきたことを考えると、類似の話はいくらでも出てきそうです。

 自らの対応を決めるにも、弁護・擁護するにも、こうしたポイントを踏まえたものでないと、うまく機能しません。

 一方で、スキャンダル報道は、大体の流れが決まっています。

・スキャンダル報道の第一弾
 ↓
・釈明、謝罪
 ↓
・世の中の反応がまとめられる
 ↓
・過去の遍歴が次々と暴露される
 ↓
・「誤解がある」という関係者が現れる(←イマココ)
 ↓
・乙武氏の分析がはじまる(心理分析:性欲と権力欲は強いコンプレックスの裏返しだ、とか)
・身近にもいる乙武氏みたいな人等というテーマのストーリーが増える
・知られていない過去の問題行動が出てくる

 問題の収束を図る時には、こういう流れの中で、その時点その時点における対策を考えるわけです。

 また、こうした問題の際に弁明でよく使われる「誤解」という言葉は、反発を招きやすいキーワードで、取扱いには注意が必要です。一般的に、騒動の収束には逆効果なことが多く、別のステージに進行しがちです。

 3月31日発売の週刊文春に「誤解がある」として乙武夫人が独占メッセージを出したことで、本人の意図に反して、おそらく今後は彼女や家族に関する情報が増えるはずです。

 発信した情報が「誤解されている」あるいは「間違って伝わっている」というのはあくまで当事者の感覚で、情報の受け手は誤解しているとは思っていません。なので、「まだ伝わっていない情報」「知られていないこと」とした方が、反発を招かずに聞いてもらいやすいです。

 「誤解」という言葉は使わずに、先に述べた「驚きの事実」を持って認識を変える、というのが正攻法なのです。

林真理子氏のフォローに注目した

 率直なところ、乙武氏を他人がコメントで擁護するのは困難です。

>?p 無理やりキスされて逃げ出した女性が証言したり、「乱倫教育者」と報じられるほど自由でお盛んなことに加えて、出馬の可能性を自民党の他、日本を元気にする会や民主党とも「三股」交渉しながら、「民主党側には、自民党の議員と一緒に仕事をすることは『ヘドが出る』と言っていた」などとされつつ、交渉について乙武氏自身は「事実ではない」と答えるなど、メディアを通して伝えられる行動や発言に信憑性が乏しいからです。

 身近な人たちの援護がどうも苦しそうなのには、ちゃんと理由がある。

 だからこそ私たちは、この騒動を題材に、逆に、どんな守り方があるのか、どんな言い方があるのかを探っておくと、いざという時に役立つ。こんな時にでも効果的な助け船の出し方があるのかを確認できるわけです。

 そのヒントが3月31日発売の週刊文春にありました。連載する作家の林真理子氏が「乙武君へ」と題するコラムを書いているのですが、これがたいへんよく練られたメッセージになっています。

 彼女はこう書いています。

 ──彼の清廉なイメージはこれで崩れるだろうし、選挙に出るのもむずかしくなるはずだ。奥さんにまで謝らせたのはよくない。彼は頭がいいから、奥さんを出すことによって、「これは夫婦の問題」と口封じをしたのであろう。卑怯なやり方だよ。
 が、そういうこととは全く別のところから、「乙武君、よくやった」という思いが私の中に出てきたのも確かなのである

 この後、重度のハンディキャップを持つ彼が、奥さん以外の何人もの女性を口説き、モノにしたことを挙げ、

 ──男の魅力が溢れていれば、女の人は恋心を持つ。女たらしという乙武君の行為は、どれだけ多くの障害者の人たちを力づけたことであろうか。「奥さんは泣かせただろうけど、モテるのは仕方ないよねー。ま、よくやったよ」と私は彼の肩をたたいてやりたい

 と続く。

 女たらしの障害者は褒められる存在だというのが「驚きの事実」と言っていいのかは分かりませんが、その表現を何度か読み返してしまうくらいのインパクトは感じます。

 そして、彼の肩書きが「作家」であればこれほど騒がれることはなかったが、もうじき選挙に出ようとしていた教育者であり、国民的に「いい人」であったことからバッシングされたと論じた上で、

 ──したたかでずるくて強い政治家になって権力を握り、「乙武ってやな奴」と憎まれるぐらいになってほしい

 とまで言っているのですが、まとめ方がうまいんです。

 ──世間は私のような考え方をする人間ばかりではあるまい。いや、かなり少ない方かも。彼はしばらく「茨の道」を歩くであろうが、彼のことだ、それもうまくやりおおせることであろう。もし政治家になるとしたらそれもいいと思う

 と、賛同できない人にも、考えを押し付けるのではないというスタンスをはっきりさせています。これが重要なポイントで、女性だからこそ成立する部分も含まれてはいますが、ダメなところも受け入れながら私自身はエールを送るという姿勢が、読む人にも新たな視座として意識しやすい。

 そっちの路線も有り得るかも、というイメージが読む人の頭に広がりやすいわけです。

障害者が無茶苦茶する訳がないという思い込み

 もう1つ動画を紹介します。

 分かりやすいドッキリ映像なので、まずはぜひご覧ください。

ブラインド(レミ・ガイヤール)

 視覚障害者の白杖を使いながら、車を不安定に運転し、奔放に街をうろつき、周りの人たちが慌てて導こうとするも、一向に話を聞く様子もなく、有り得ない行動を続けている様子が繰り返されています。

 見ると分かりますが、これはドッキリ映像で、視覚障害者を演じているだけなのですが、おそらく我々の多くは、こうした障害者に対して、ある種の固定的なイメージに支配されていて、ものすごく扱いづらさを感じていたり、イメージと異なる行動に困惑したりする傾向が強いのかもしれません。

 その結果、おそらく多くの人は、当の本人よりもはるかにコメントに気を遣い、ストレートな物言いが難しく、その結果、何のインパクトも得られないものになりがちなのだろうと思います。