バブルの頃、企業は社員をこぞって海外のMBA(経営学修士)に送りこみましたが、大抵、そこへ派遣されて帰ってきた人は会社を辞めています。なぜなら、帰ってきても学んだことを発揮する場が用意されていなかったからです。

受け入れる側にこそ覚悟が必要

入山:まさに先ほど話題になった、受け入れる側の度量の問題ですね。

河合:自分が負けるかもしれないという覚悟を持たなければ、新しいものを受け入れることはできないと思います。

入山:ちなみに河合さんの“負け”に対する意識はどこで醸成されたんですか。私は2年前までアメリカの大学に10年間いたのですが、ずっと競争をさせられて、正直「ずっと負けてきた」という感覚しかありません。その経験を通して、負けたときにどう気持ちを持つか、ライバルとはどういう存在なのかを学んだように思います。一方で日本ではそこまでの競争がないせいか、負けることを許容できない人が多いような気がしています。

河合:やはり子供のころ、米国にいたことが大きいと思います。しかもアラバマ州のハンツビルという田舎でした。

入山:アラバマですか!!アジア人は珍しがられたのではないですか。

河合:1970年代でしたから、なおさらです。まだ黒人差別もありましたし、私が通ったエレメンタリースクール(小学校)で、私は最初の日本人どころではなく、最初の外国人だったんです。異分子で、マイノリティで、最初から負けていますよね。当時、小学校4年生だったのですが、父には「3カ月もすれば英語はペラペラになるよ」と言われていたのに、全く話せなかった。鮮明に覚えているのは、実際に3カ月経ったときに大泣きして、「パパ、薫ちゃん全然、英語ペラペラにならないよ!」ってビエンビエン泣きまくったことですね。

 でも、子供なりに何か踏ん張っていたんでしょうね。外国人が珍しいので、学校ではみんな私のことを見に来ます。何を言われているか分からないから、とにかくニコニコしていました。そうしたら先生が、その学校のスマイルチャンピオンに私を選んでくれて、ローカル紙の一面に載ったんです。後にも先にも、その学校のスマイルチャンピオンは私だけだったので、先生が私のために作ってくれたんでしょうね。

 だから、ずっと負けていても、1回くらい勝てるときがあるんです。踏ん張っていると必ずサポートしてくれる人が現れて、ヒョイって壁を超えられる。今もその繰り返しです。

入山:米国はドライな競争社会である半面、助け合うところもありますよね。

河合:ひとつには、宗教の影響があると思います。

(次回に続く)