もともと彼女は非の打ちどころのない中国人エリートの一人だ。中国の大都市にある有名高校を卒業後、北京の一流大学に進学。幼い頃からよく勉強ができた。ただひとつ、他人とは違う点があった。日本が好きで、大好きで、たまらないという点だ。

 “日本”との出合いは中学2年のとき。『サクラ大戦』というゲームにはまり、そのキャラクターソング「祈り」の歌詞に感動して、口ずさんでみたいと思ったのがきっかけだった。

 片言の日本語ができる友だちから「五〇音」を教えてもらい、中学時代から独学で日本語を勉強。ゲーム、アニメ、漫画、日本のサブカルチャーといえるもの全部が好きになって、日本への興味は果てしなく広がった。自宅はキャラクターのフィギュアや特典グッズであふれ返るほどだった。

 日本が好き。どうしても、日本に行きたい――。

 日本に対してあまりよい感情を持っていなかった両親の反対を押し切って東大大学院へ。しかし、「留学生」としての就活では苦戦を強いられた。他の留学生と比べて日本語は抜群にうまく、いわゆる中国人の発音のクセもまったくない。日本語を話すスピードも速く、彼女のことを日本人だと思う人すらいるかもしれない。東大修士課程での成績も問題なかった。それなのに、なぜかどの企業にも採用されなかった。

 15年3月、いったん日本での就活もあきらめ、帰国の途についた。地元に帰ってきて欲しいという親のためでもあった。ネットで見つけた企業や親のツテなどがある企業を当たってみたが、これまたなぜか全滅。中国にある日本企業の支社にもアプローチしてみたが、「すごい学歴ですね。うちにはオーバースペックです。あなたにはもっといい会社があるんじゃないですか?」と嫌味をいわれて断られた。

「私という人間は去年と何も変わっていないのに」

 マスコミにも興味があったので支局の助手の口も考えてみたが、母親から「東大の修士課程まで出て、なんであなたが助手をやるのよ!」と怒鳴られて大ケンカになったことも…。どんづまりのところで思い出したのが前述した人材紹介会社を利用してみることだった。

 相談してみたところ、トントン拍子で話が進み、金融機関、コンサルティング会社、外資系企業の3社を受験することに。不思議なことに、日本にいたときにはあれほど落ちまくっていた筆記試験にすべて合格。北京の一流大学、東大博士課程修了、さらに「海外採用」であるのに、日本語が堪能という経歴がモノをいったのか、スカイプによる面接もクリアして、東京で最終面接を行うところまで漕ぎ着けた。

 第一希望の金融機関では、自分でも納得する受け答えをすることができた。「ここでしくじったら、日本と私を結ぶものは何もなくなってしまう……」。そう思うと緊張したが、逆に開き直ることができた。日本で働きたいという情熱は人一倍強く、誰にも負けないと思ったからだ。

 結果はすべて合格。足かけ2年という時間をかけて、ようやく長かった就活が終わりを告げた。

 「私の場合、留学生という立場のままでは、日本企業の内定を得ることはできませんでした。優秀な留学生や日本人とともに闘う就職戦線では、私なんかは埋もれてしまうので……。中国から応募すれば、最初から『外国人』として日本企業は“特別扱い”をしてくれる。でも、私という人間は去年と何も変わっていないのに、何だか少し、おかしいですね」

 この話を聞いていて、私は複雑な心境にかられた。