前述のグラフィック・デザイナーは「両親の時代は貧しく、勉強したくてもできない世代だった。学校の勉強も大事だが、私の両親の場合は私の意志や希望を尊重してくれた。美術をやりたいなら、とことんやってみなさい、と背中を押してくれた」と話していた。

 ホテル経営者も、ホテルの開業資金の一部を父親が捻出してくれたといい、文化大革命時代に青春を送った両親が「自分たちにはできないことだからこそ、息子や娘にさせてあげたい……」という。中国の親が子供に欧米への留学を薦めるのも、かつての中国ではどんなに優秀でも出国することは困難だったからだろう。つい十数年前までは、中国人に生まれたがゆえにできないという、日本人には想像できないほど不自由なことが多かったのだ。

 彼らが生まれたのは中国の改革・解放(1979年)の翌年以降だ。中国がようやく世界に向けて足並みを揃えようと第一歩を踏み出した頃だ。彼らが小学校に入るくらいの頃からは生活も豊かになり始め、習い事などもかなり自由にさせてもらえるようになった。

 34歳のグラフィック・デザイナーはいう。

 「中国はこの100年間、世界に相当な遅れを取ってきたけれど、この20年ほどは猛スピードで追い上げてきた。そこで歪みも生まれたかもしれないが、いいこともあった。私たちの世代が幸福なのは、インターネットの発達によって、昔の作品や外国の情報など、中国にいながらにして、かなりのものを見たり読んだりできることです。ネット上には何でもありますから。そこには時差もなければ国籍もない。私たちは自分たちが生まれる以前の中国のことも、世界のことも、日本人が想像している以上によく知っているんですよ」

80后に与えた日本の影響

 私が中国の微信(中国版line)でよく見ているものに、「一条」というサイトがある。上海画報という雑誌が作ったウェブメディアで、国内外のライフスタイルやトレンドを紹介しており、中国では約5000万人がフォロ―しているのだが、そこにも最先端と思われるファッションや、外国人が撮影した昔の中国の貴重な映像などが紹介されていて勉強になることが多い。微信から流れてくる情報を見ているだけで、膨大な知識を得ることができる。

 「それに、中国人にとって、日本の影響は非常に大きいです。すぐそばにある世界の最強国であり、同じ東洋の文化を共有しているのですから。幼い頃から見てきた日本のアニメや、小説、ドラマが私たち80后の生き方や創造性に強い影響を与えていることは間違いないと思いますね」

 これまでの取材でもずっと感じてきたことだが、80后世代は、その前の70后(70年代生まれ)、60后(60年代生まれ)と大きく異なり、日本に対するアレルギーや固定概念がほとんどない。以前は愛国教育の強い影響を受けていると思われてきたが、彼らと話していると、それを感じることはほとんどない。また、すぐそばにある“できすぎた国”、日本の影響を受けることによって、一時期は中国にパクリ文化がまん延したが、それを80后たちは「恥ずかしい。やめてほしい」と感じるようになり、最近では、日本のものをそのまま受け入れたり、自分たち流にアレンジしたり、再創造できるまでになってきた。一定の時間を経て、独自の想像力を持てるようになったり、視野を広げる余裕ができたのだ。

 2012年、私は『中国人エリートは日本人をこう見る』という新書の中で、80后の女性作家であり女優の田原さん(芸名)を紹介したことがある。2011年に北京で彼女に会ったとき、有名な商業施設である三里屯(サンリートン)の建築は日本人の隈研吾氏であると指摘し、「彼らは、とくに日本風のデザインを用いているわけではないのに、日本的なカラーやスタンスをちゃんと持っている」と話していた。同時に「中国では1966年から約10年間続いた文革によって、文化に大きな断層がある。北京の街を見渡してみても、高層ビルが立ち並ぶだけで、中国的な伝統文化が感じられない」と嘆いていたが、あれからわずか数年で、彼女たちの世代は大きく変わってきたのではないかと思う。

 中国を代表するような建築物やファッションなどはまだ中国人の間から生まれていないが、もし生まれるとしたら、きっとこの80后世代からではないかと思う。

 5年前の取材のとき、田さんに「10年後、あなたたちの世代が中国の中心になったとき、中国はどうあるべきだと思いますか?」という漠然とした問いかけをしてみたことがある。そのとき彼女は「自分たちの文化を持つこと。いや、取り戻すこと、というべきなのかな」と答えてくれたが、あと5年で、その時期を迎える。中国に新文化が花開く日は近い、と私は思っている。