「地下のダム」という発想が関東を水害から救う
地下に造られた巨大な水瓶・首都圏外郭放水路(前編)
閉ざされた空間の中に巨大なコンクリート柱が林立し、なにやら荘厳な雰囲気すら漂わせる神殿のような建造物。関東平野の地下に設置されている首都圏外郭放水路の一部だ。雨に弱い首都圏を守るために造られたこの巨大施設を“防災の鬼”渡辺実氏は「現代建造物最大の発想の転換」だという。一体どういった発想をそう評価しているのか。すべてが明らかになる。
台風の季節になると公共交通がストップするなど、都市機能が寸断されるのは東京の年中行事になった感もある。しかし、関東平野が水に弱いのは今に始まったことではない。
作家・幸田文(1904~1990年)は幼年時代、隅田川の流れの近くに住んでいた。晩夏に降る大雨のおかげで、毎年のように水びたしになる地域だった。近所の子どもたちも大水には慣れっこで、雨の降る音、風の音を口で真似たり、着物をまくって歩くかっこうでふざけたりの洪水ごっこをして遊んだという。
文が6歳、1910年の大水害では関東だけで800人を超える犠牲者を出した。
関東の水害対策について“防災の鬼”渡辺実氏はこう語る。
「江戸時代、下町において水害から人々を守る治水って、中川を使ってやっていたんですよ。江戸の下町には西から隅田川、中川、江戸川とある。真ん中を流れる中川を工事することで洪水の被害を軽減しようとしていた。ただ、それだと追いつかなくなって、江戸川の流域でも治水対策が行われるようになった。関東の水対策には長い歴史があるということです」
1938年から63年にかけ、旧江戸川の上流に“新中川”という人工河川が整備された。中川流域はとにかく水害が多く、1938年6月、7月の豪雨では6万戸が被害にあった。新中川を造ることで、中川水系の複数の河川の水を江戸川に流し込むことができるようになり、下町の水害は激減した。
ただゼロになったわけではない。大きな台風がくるたびに、関東・東京は水の被害に苦しめられ続けている。
1993年11号台風ではJR御茶ノ水駅で線路下の地盤が崩れ、品川駅や営団地下鉄の赤坂見附駅が冠水するなど、台風によるものとしては過去最大規模で交通インフラの寸断が発生した。
「過去の様々な被害を教訓に持ち上がったのが、首都圏外郭放水路の計画です。僕はね、この計画を土木業界最大の“発想の転換”だと思っているんですよ」(渡辺氏)
2006年に完成した首都圏外郭放水路は、大規模な治水施設。洪水時には、各河川からの水を取り込み、それを江戸川に排水して水害を防ぐ。それのどこが発想の転換なのか? 渡辺氏の謎めいた言葉の真意を確かめるべく、“チームぶら防”は埼玉県春日部市にある国土交通省関東地方整備局・江戸川河川事務所にお邪魔した。
低地に降った水を江戸川に流す
お話を聞かせてくれたのは首都圏外郭放水路管理支所・管理第一係長の長康行氏だ。
「まずはこの放水路の概略を教えてください」(渡辺氏)
「江戸川と中川、そして大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)という河川に挟まれた低地に降った水を江戸川に流すのが首都圏外郭放水路の役目です。国道16号線の地下約50メートルに建設したトンネルで結ぶ全長6.3キロメートルの施設です。1992年(平成4年)度から工事が始まり、2006年(平成18年)度に全区間が完成しました」(長氏)
全長6.3キロメートルの施設のところどころに河川から水を取り込み調圧水槽に送る立坑が5本設けられている。5本の立坑はトンネルで結ばれており、各立坑から取り込んだ水は巨大な水瓶である調圧水槽に貯め、その後江戸川に排水する。ごく簡単に説明するとこれが首都圏外郭放水路の機能だ。
首都圏外郭放水路の断面図。全長は6.3キロメートルある
「東京から見ると、少し北にある低地。このあたりは水が流れにくい地形なんでしょうね」(渡辺氏)
「おっしゃる通りです。勾配が緩く水が流れにくいことに加え、大河川に挟まれた場所がお皿のようになっていて水が溜まりやすいのです。おかげで降った雨がうまく海まで流れてくれない。そこで中川、倉松川、大落古利根川、幸松川などの河川から水を引き込んで江戸川に流す地下トンネルを作ったわけです」(長氏)
「都市化が進んだおかげで地面がアスファルトやコンクリートに覆われてしまった。かつては地面に染み込んでいた水も地上に溜まるようになったということもありますね。能力としてはどのくらいの水を処理できるのですか?」(渡辺氏)
「見学される方々には100年に1度の洪水に対応している、とご説明しています。具体的には48時間で355ミリの降水量を想定しています」(長氏)
「なるほど、でも現在は『スーパー台風』が想定される時代です。7月の西日本豪雨では広島県東広島市などで48時間に426.5ミリも降らせています。100年に1度という想定はもはや過去の尺度なのかもしれません」(渡辺氏)
「そうですね、想定外の洪水の可能性は否定できません」(長氏)
莫大な経済効果
「でもこの放水路があるとないとじゃ全然違います。壊滅的な量の雨が降ったとしても時間稼ぎができます。この放水路が雨水をどんどん溜め込んでいるあいだに避難することができる。これは大きい。
もちろん首都圏外郭放水路が整備される前から、他にもいろいろな河川域で対策が行われてきた。江戸時代から洪水との戦いだった利根川は、明治以降も堤防の強化や排水機場を新たに作るなどの大掛かりな河川工事が行われ、スーパー堤防の建設など、総合的な治水工事が実施された。また荒川は「荒ぶる川」が名前の由来だとされるほど氾濫の多い河川だった。明治から大正にかけては21キロメートルに及ぶ地上型の放水路を整備。上流部分も大正・昭和にかけて整備が行われた。
この首都圏外郭放水路が完成したおかげで被害はどのくらい軽減されているのですか」(渡辺氏)
「外郭放水路だけの効果ではありませんが、数字で表現するなら、放水路が完全に可動する前の2000年は浸水の面積が137ヘクタールで浸水戸数が248戸でした。これが、放水路が全域で可動を始めた2006年には33ヘクタールの85戸にまで減少しています」(長氏)
「それはすごいですね。浸水面積で約25%、浸水戸数で約35%まで減らすことができた。金額にするとどのくらいだろう?」(渡辺氏)
「完成してから10年間で、1008億円分の被害を食い止めたとの試算があります。建設費が約2300億円でしたので、ざっくりいうと10年で半分に相当する効果があったということです」(長氏)
「そもそもの建設費が2300億円でしょ。イージス・アショアに何千億円も使うよりずっと経済効果が高いと思いますよ」(渡辺氏)
「これまで最大の処理実績は、2015年9月の関東・東北豪雨です。1900立方メートル。東京ドーム15杯分の雨水を処理しました」(長氏)
「鬼怒川の堤防が決壊したあの豪雨ですね。この連載でも取り上げました。でもそんなに大量の水を集めて江戸川に流すわけですよね。江戸川のほうは大丈夫なのですか?」(渡辺氏)
「首都圏外郭放水路から江戸川に流す水は、周辺で降った雨、つまり比較的近場で降った雨を集めて強制的に江戸川に排水します。ですから、降雨後に早いタイミングで流すことができる。一方、江戸川そのものは南北に長い河川です。上流で降った雨を集めながら流れてきますから、江戸川の水位が最も上昇するタイミングでは首都圏外郭放水路の排水は終わっているのです」(長氏)
施設の頭脳「操作室」の役目
我々がお話をうかがったのは首都圏外郭放水路の頭脳ともいえる「操作室」だ。下の写真を参照していただけば分かる通り、複数の巨大モニターが設置されている。
「首都圏外郭放水路は複数の河川から水を引き込んで排水します。刻一刻変化する気象情報や川の水流の状態などを細かくチェックしておく必要があります。また、水を引き込むために各河川に設置されたゲートの開閉などもこちらで一元管理します。またゲートの開閉などが安全に行われているか、付近に危険なものはないかなどを26個のモニターで監視してもいます」(長氏)
「これって、まさにダムのシステムなんですよね。首都圏だから建物が高密度に建設されていて、大きな溜池やましてやダムなどを造るスペースはありません。だったら地下に造ってしまえ、というのが、僕は、この首都圏外郭放水路の基本コンセプトだと思っているんです。この発想の転換がすごい」(渡辺氏)
「地下のダム。なるほど、そう言えるかもしれません」(長氏)
「今の政府は原発の海外輸出なんかを推奨しているみたいですが、こうした治水施設やノウハウを途上国へ輸出したほうが喜ばれると思うんですよね。地下であれば大都会のど真ん中にでもダムを造ることができる。気候変動が激しい時代に入ったいま、増やしていくべきだと思っています」(渡辺氏)
明日公開の後編では、いよいよ地下の施設に潜入する。
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