当たり前のことから改善を行う

「当時最大でおおよそ450万BD(BDは「バレル/日」)くらいの供給能力があったのですが、6つの製油所が操業できないことで、140万BDほどがストップした。1日あたりの需要量がおおよそ330万~340万BDだった中で、これを下回ってしまった」(奥田氏)

「大きな災害が発生するとかならずパニック買いが起こります。東日本大震災の時もそうでした。被害のなかった地域でも車を満タンにしようとしてスタンドに長い列ができましたね。おかげでいつもより需要量が伸びてしまう。すると品薄感が増してさらなるパニックになるわけですね」(渡辺氏)

「精製や備蓄の設備にも大きな被害が出た。またタンカーが接岸する港湾設備についても東北三県では破損した地域も多かった。津波のおかげで桟橋や港そのものが破壊されてしまったのです。製品を陸路で運ぶタンクローリーも、海岸近くでは津波に飲まれて使えなくなってしまったものが多数ありました。また、ガソリンスタンドにしても南三陸町や大槌町などでは甚大な被害が出ました」(奥田氏)

「つまり、原油を精製してユーザーの元まで運ぶサプライチェーンのいろいろな場所が被害を受けて寸断してしまったということ」(渡辺氏)

石油のサプライチェーン(石油連盟発行『今日の石油産業2016』より)
石油のサプライチェーン(石油連盟発行『今日の石油産業2016』より)
[画像のクリックで拡大表示]

 そういうことなんです。と苦笑いする奥田氏。石油のプロから見ても、当時の日本の石油網は「思っていた以上に脆弱」だったわけだ。

 国も動いた。2013年には「強くしなやかな国民生活の実現を計るための防災・減災等に資する国土強靭化基本法」が公布・施行され、様々な分野に予算がついた。製油所・油槽所における石油製品の入荷・出荷設備の耐震強化や液状化対策。桟橋などの強靭化。ガソリンスタンドの地下タンクの大型化や非常用発電機の設置などが急ピッチで行われた」(奥田氏)

「東日本大震災から見えてきた“サプライチェーンの脆弱性”はハードの強靭化によってまずは手当をした。ということですね」(渡辺氏)

「当たり前のことをひとつ1つ潰していくという作業です。例えば製油所などはある程度の規模の地震が起こったら自動的に操業がストップする仕組みになっています。先ほども申しましたが、これらの施設はいったん止まると安全確認などのためにしばらくは稼働できません。ところがタンクには石油製品が詰まっている状態です。せめてこれを出せるようにしておこうじゃないか。とか、考えたら本当に当たり前のことなんですよ(笑)」(奥田氏)

次ページ タンクローリーは見れば分かるだろ!