緊急支援にトレーラーハウスが被災地熊本へ!
清水国明氏と探る避難生活を支える新たな取り組み(前編)
富士山のふもとに「清水国明の森と湖の楽園」を2005年に立ち上げ、アウトドアのテクニックを共に学びながら生きる力を伝え続けているタレントの清水国明氏。4月に発生した熊本地震では、独自のネットワークを駆使して被災地にトレーラーハウスを運び込む活動を開始。その取り組みは行政をも動かし始めている。こうした流れが“防災の鬼”渡辺実氏の心を強くとらえ、今回、インタビューの運びとなった。「アウトドアテクニックは防災の基本。義務教育で教えてもいいくらい」と意気投合する清水氏と渡辺氏。2人が見つめる防災の未来とは。
2016年4月16日に発生した熊本地震。おびただしい数の家屋が倒壊し、多数の犠牲者と被災者を出した。“防災の鬼”渡辺実氏は言う。「人はある日、突然、被災者になります!」。いかに早く被災者を日常に戻すことができるのか。それが防災の大きな役割の1つでもある。
ところが渡辺氏はこうも言う。
「この国には、災害対策基本法、災害救助法、被災者生活再建支援法など被災者を支援する法制度があるけど、被災現場で苦しんでいる人にはわかりづらく、手続きが煩雑で、突然被災者になった人々には決して優しい内容になっていない。併せて突然に被災した行政機関も初めて対応する災害対策事務に困惑し、大量に処理しなければならない事案に振り回され、後手後手に回っている。その職員の多くが被災者でもあるんだ。災害のたびに指摘しているけど、今回の熊本地震でも、この根本的な問題が被災者や被災行政を苦しめている。
防災の世界で活動を始めてかれこれ40年余りになり、国内外の様々な被災現場を見てきてつくづく思うのは、被災者支援の仕組みからこぼれ落ちた方々をどう救っていくかということ。地震や水害、台風などで住む場所を失い、仮設住宅ができるまで避難所での生活は過酷の極み。ここでエコノミークラス症候群や感染症、ストレスなどで苦しむ。仮設住宅ができてもそこから抜け出すのにまた何年もかかる。その間にせっかく災害から生き延びた生命が、災害関連死という最悪の結果を生んでいく。この国は何度も何度もこれを繰り返しているんですよね。もういい加減にこの悪の連鎖を断ち切らなければならない」(渡辺氏)
そんな“防災の鬼”渡辺氏は、1992年に発生したハリケーン・アンドリューの被害状況を視察するためにアメリカのフロリダ州マイアミを訪れた際、ある光景にド肝を抜かれたという。
「貨物列車やフリーウェイで、ものすごい数のトレーラーハウスを被災地に運び込むんですよ。被災の翌日にはこのオペレーションが始まっていました。本当にすごいスケールとスピードなんです。こうした取り組みが日本でもできないかなぁって、ずっと考えてきました。ところが日本の行政は米国のようなスピーディでダイナミックな動きができない。なかば諦めかけていたところに、今回清水国明さんの活動に触れて、また勇気が湧いてきたわけです」(渡辺氏)
そうした思いを清水国明氏サイドに伝えたところ、目が回るほど多忙な活動の合間をぬって、今回インタビューが実現した。
“防災の鬼”と“アウトドアの鬼”、ここに出会う
熊本地震から1カ月が経過した5月某日。晴天。“防災の鬼”渡辺実氏と“アウトドアの鬼”清水国明氏が山梨県の富士河口湖町にある「森と湖の楽園」にて互いの意見をぶつけあった。
この日もアウトドア活動を学ぶため、多くの子どもたちが施設を訪れていた。彼らの声を遠くに聞きながら、深い森が生み出す爽やかな空気と木漏れ日の中、インタビューが始まった。
まずは“防災の鬼”渡辺実氏から。
「僕はこれまで何度も被災現場でのトレーラーハウスの活用を国に訴えてきたんですが、力不足で制度として実現していない。でも今回は清水さんのように供給する側の顔が見えてきた。これは本当に画期的なことだと思っています。
トレーラーハウスの文化は日本にはまだ広まっていない、そもそも供給台数が少ない、提供先が見えない、コストが高くつく、等々が災害時活用の課題として指摘されてきました。しかし、今回の熊本地震では既にトレーラーハウスが被災地へ実際に搬入され活用されていることを、広く国民が認識しないといけないし、内閣府をはじめ国の防災関係機関が今熊本で起きていることをきちんと受け止め、これからの災害対策のあり方として学ばないといけない。そうでないとまた同じことの繰り返しですよ」(渡辺氏)
「本当にそう思います。どこかで大きな災害が起きる。するとまたゼロから始める、という感じ。次に伝えるとか教訓にするという意識が低い。災害が起きてすぐは『今度はこうしよう、ああしよう』というようなことをみんな言うんですけど、喉元を過ぎてしまうと熱さを忘れますね」(清水氏)
清水氏はここで「業を煮やす」という言葉を使った。つまり、国や行政にいくら訴えても物事は動かないと感じたのだ。だからこそ、自分が動くことで被災者支援のあり方に一石を投じた。
「国を動かすとか、公を動かすってことよりも、やってみせることで流れを変えていこうと思ったわけです」(清水氏)
トレーラーハウスを被災現場に運びこむことだけが清水氏の言う「やってみせること」ではない。ここに至るまでには清水氏の思いとアイデアと、それを実現するための実行力の積み重ねがあった。
「公をおだてる」という戦略
2015年11月。清水氏は自身の運営する「森と湖の楽園」にトレーラーハウス専用の施設をオープンさせた。平時には自然を体験する施設として活用し、大規模な災害が起こった時には被災地に運んで、家を失った被災者が宿泊施設として活用できるトレーラーハウスを備えた施設だ。
名づけて「災害出動型レスキューRV(レクリエーショナル・ビークル)パーク」である。
同施設には10台のトレーラーハウスを常備している。1台の広さは標準タイプで約36平方メートル。最大で12人が居住できる。実際に居住する際は、風呂とトイレの施設を合体させる仕組みだ。
災害時には被災者の避難生活を支えるために利用することを、立ち上げ当初から想定していた。
「我々民間が主導するんですが、僕らは『公をおだてる』というやり方をとったわけです(笑)。まずは具体的にやって見せて、行政がこれに目をつけるわけでしょ。そこでぼくらは『おや、いいところに目を付けましたね』みたいに相手をおだてながら、公の仕組みに組み込ませていくみたいな感じです。これって人の育て方にあるでしょ。火の起こし方でもなんでも、まずはやって見せて、その後にやらせてみて、さらにほめてやる。人の育て方と同じ、公を育てるつもりでやっているんです(笑)」(清水氏)
この戦略には“防災の鬼”渡辺実氏も大賛成。
避難所生活から救いたいという意思が動かした
「そう、手柄は公に持って行かせていいんですよ。とにかく仕組みができさえすればいいわけです。今回清水さんたち『供給側』の顔が見えたおかげで、支援する側、支援を受け入れる行政、そして実際に支援を受ける被災者。この三者が揃ったわけです。
三者三様の都合や思いがあるのだから、それをぶつけあうために同じテーブルに乗って、議論を深めていかなければならない。国の支援策も必須だ。そういうことが清水さんたちのおかげで可能になってきたわけ、これはものすごく大きなことです。
僕も清水さんと同い年で、もうそんなに長くないじゃないですか。だからこの仕組みは死ぬまでにちゃんと制度として、この国の中につくりあげて死にたいって実は思っているんですよ(笑)」(渡辺氏)
清水氏の被災者支援の活動はトレーラーハウスの派遣だけではない。「森と湖の楽園」全体を使って様々な取り組みを行ってきている。
「僕は関西の人間ですから、阪神・淡路大震災のときから避難所で苦しんでいる子どもやお年寄りの姿を見てきた。そこで感じたのは『避難所生活からは1日でも早く抜けだしたほうがいい』ということ。
ここ(森と湖の楽園)は2005年7月からやっています。東日本大震災のときはすぐに、子どもさんとかお年寄りをここに受け入れるという決断をしたわけです」(清水氏)
しかし、実際に施設を運営しているスタッフからは厳しい意見も出た。
「これを続けると『施設がつぶれます』って言うんですよ(笑)。ここはボランティア施設じゃありませんからね。お金をいただいて運営している普通の株式会社です。つまり支援のためだけに被災者を受け入れ続けていたら経営が成り立たないということです。
でも過去を振り返ると、『これまで十分やってきた』という思いがあったので、『じゃぁつぶれるまでやろうか』ってさらに決断したんです。もうやけくそですよ(笑)。そしたらたくさんの支援の手が差しのべられてきたんです。そこから僕自身、避難してくる人たちと一緒に防災ということを学び始めた。最終的には64回バスを出して、被災者を受け入れました。
トレーラーハウス本体が運びだされれば RVパークにはウッドデッキだけが残る
そうした活動の中で門前の小僧みたいにどんどん防災を学ばせてもらった。それが今につながり、今でもつぶれずにやっていけている。まぁとにかくやってみるしか方法はないんだなって、そのときにも思ったわけです」(清水氏)
現場ではしっかりジャッキアップされ安定感もある。ガスはプロパンだ
トレーラーハウスが正式な福祉避難所に
「“実際にやってみる”それは本当に大切なことです。今回清水さんが起こした行動は実は大きな歴史の1歩でもある。なぜかというと、被災地である益城町が清水さんたちのトレーラーハウスを正式な福祉避難所として受け入れを表明したということです。これは日本初のことです」(渡辺氏)
益城町がトレーラーハウスを活用した福祉避難所を開設(5月19日)
福祉避難所のサンプルとして見ていただくために活動拠点のトレーラーハウスにスロープを設置(写真:協働プラットフォーム)
「今回益城町でトレーラーハウス型福祉避難所が設置できた背景には、受け入れる側の行政を影で支援する一般社団法人協働プラットフォーム(代表理事:長坂俊成)の役割が非常に大きいんです。この社団の中核メンバーは、東日本大震災でも被災地に迷惑をかけない活動拠点とする目的でトレーラーハウスを活用した実績があり、熊本地震でも早い時期から日本財団などの協力を得て被災地支援に入っていました。その中で、一般の避難所や既存の福祉避難所では救われない方々の避難環境を改善するためにトレーラーハウスを活用するアイデアを行政に提案していたんです。このアイデアに熊本県知事も国も賛同し、この熊本の地で実現したんです。
でも、僕らの経験からいうと、行政の組長の口から出る『その方法はいいですね』みたいな言葉はリップサービスであることが多い。その後に具体的な提案をすると『いや、それはまだちょっと時期尚早だ』などと言って足をひっぱるようなことばっかりなんです。ところが今回は益城町がリップサービスではなく、本気でトレーラーハウス型福祉避難所を採用するという、日本初の大きな第一歩を踏み出した。これはとても大きな一歩といえるわけです」(渡辺氏)
協働プラットフォームの中核メンバーは、古くからの“鬼”の「震友」であり、その行動力と戦略には一目を置いている。どんな戦略なのか。そして、清水氏の活動内容の詳細は次回に。
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