東京都内の全戸にポスティングという形で配布された防災ブック『東京防災』。企画立案・制作から配布までに20億円の予算がかけられた。“防災の鬼”渡辺実氏は「そもそも防災意識を高めるために作られた冊子である。配っただけで終わっては意味がない」と言う。都民が生活の中で役立ててこそ、危機管理の血となり肉となるわけだ。後半では「『東京防災』を配布したその後」と「意外と知られていない『東京防災』豆知識」に“防災の鬼”が切り込む。
大人気である防災ブック『東京防災』を企画した東京都総合局総合防災部を訊ねた“チームぶら防”。前回は、実際に記載した通りに防災グッズが作れるかを検証すると共に、『東京防災』がどのような目的で作られたかなどについて尋ねた。対応してくれたのは、東京都総合局総合防災部防災管理課長の船川勝義さんだ。
2016年に入った時点で、おおむね配布が終わったという『東京防災』。しかしそこからさらにオファーがあって、現在は140円で販売もしている状況。しかも増刷が追いついていない。その状況を鑑みたうえで、「大反響といっていいと思うのですが、こうしたものは配布しただけで終わっては意味がありません。その後の展開として、また20億円の予算をかけた事業として、その費用対効果をお伺いしたい」と渡辺氏は投げかける。
「確かに20億円という金額だけを見てみると、それが高いのか安いのかは議論のしどころだと思っています。『東京防災』ですが、実際には750万部を印刷して、各ご家庭にポスティングという形でお配りしました。現状で1家に1冊はあるだろうという状況になっているはずです。
当初からもし販売した場合、コーヒー1杯ほどの値段であれば手にとってもらいやすいだろう、という思いがありました。つまり百数十円の感覚ですね。実際、『東京防災』の制作費を1冊単位に換算するとそのくらいの値段になります。現在は1冊140円で販売しているのですが、1冊単位の制作費もちょうどそのくらいなんです」(船川氏)
直接配布でコストも手間も削減
配布については、郵便配達をはじめいろいろな方法がある。その中でも、各戸の郵便ポストに配布するポスティングという方法をとっているが、この方法を選んだ理由はどこにあるのか。
東京都総合局総合防災部防災管理課長の船川勝義さん(右)と“防災の鬼”渡辺実氏との議論は続く
「郵便物として宛名を書いて配達する、という方法であれば、たぶん今回の3倍くらいの費用がかかったと思われます。つまり、費用の面が1つ。もう1つは自治体としての立場ですね。
東京都は基礎的自治体ではない(つまり区市町ではない)ので、各戸の住所と名前を集めるのもけっこうハードルが高いわけです。もちろん各区市町さんに情報を提供してもらってそれを使うという方法もなくはないのですが、それもかなりの手間がかかる。また、区市町に依頼してもその事務量は大変なものになる。そういう理由で、とにかくすべての郵便受けに配布するポスティングを選択したわけです」(船川氏)
「この『東京防災』は東京都が発行しているんだけど、市民からの問い合わせが区市町にいくこともあるらしいですね。実は、とある区の職員から聞いたのですが。『東京防災』は都が作ったものなのに、うち(区)に問い合わせがあるから仕事が増えたって(笑)。でもそれだけ反響があって、都民の危機意識が高まっているという証拠でしょう。嬉しい悲鳴と受けっていいのかもしれませんね」(渡辺氏)
このように『東京防災』の評判は上々だ。ここからは実はあまり知られていない『東京防災』の豆知識を紹介しよう。
パラパラマンガの遊び心も
『UCDA』『CUD』の認証をとっている
より多くの人により伝わりやすく。『東京防災』のテーマでもある。そのために配色やデザインにはかなり気を使っている。
ページをめくると分かるのだが、目に飛び込んでくるイラストや文字が印象的で分かりやすい。『東京防災』は専門機関の審査を受けており、紙面の「伝わりやすさ」のお墨付きである『UCDAマーク(ユニバーサルコミュニケーション協会)』と『UCDマーク(カラーユニバーサルデザイン機構)』を取得しているのだ。
マスコット「防サイくん」のパラパラマンガが見られる
『東京防災』のマスコット、防サイくん。黄色いヘルメット被った3歳児のサイである。
『東京防災』の右ページの右下をよく見てみよう。この防サイくんがいるのだ。
実はこれ、パラパラマンガなのである。地震が起きた際に防サイくんが机の下に隠れたり、消火器を使って火事を消し止めたりする様子を見ることができるわけだ。こうした「遊び心」も『東京防災』の魅力の1つなのである。
A4版の東京防災には読み上げ機能がついている
通常のB6版(左)と比較するとA4版はかなり大きい
アプリ「Uni-Voice」を使用すれば音声で読み上げてくれる
すべての人に分かりやすく防災知識を伝えることが『東京防災』の目指すところだ。そのために目の不自由な方にも使いやすいように、通常のB6版の『東京防災』よりも一回り大きく、文字が見やすいA4版も発行している(発行部数は3万部)。
弱視の人でも読みやすいレイアウトとなっているのだが、さらに工夫がある。スマートホンやタブレット向けに提供されている「Uni-Voice」というアプリをダウンロード。これを使って各ページに付与されたQRコードを読み込むと、内容を音声で読み上げてくれるのである。
コードが印刷された場所にはページに切り込みが入れられており、目の不自由な方でも簡単に探せるように配慮されているのだ。
学校とも連携
「こういった具合に、面白い工夫もふんだんに盛り込まれた『東京防災』なんですけど、ただ配っただけでは単なる押し付けですよね。その後、例えば学校や企業などと連携し、何らかしらのアクションを起こすという動きはありますか?」(渡辺氏)
「鋭いご指摘ですね。我々もそこは当初から念頭においていました。現状としては、例えば都内の小学校から高校に、学年別の『防災ノート』を副読本として配っています。『東京防災』には避難の方法などが絵解きで説明されているので、『防災ノート』には防サイくんなどのイラストも含めてそれらをそのまま掲載しています。そして、ノートという形ですから、例えば『ではみなさんの家庭ではちゃんとやれているか調べてみましょう』といった問いかけをして、調べた事柄を書き込めるような欄を設けています。こうしたものを使っていただき、学校教育の中で防災意識が広まれば最高ですよね」(船川氏)
『東京防災』の内容や、その後の展開について高く評価する渡辺氏だが、ここで終わらないからこそ“防災の鬼”なのである。渡辺氏は『東京防災』の「生活再建版」があればもっといいのではないかと、自らの経験をもとに語った。
「阪神淡路にしても東日本にしても、大きな被災地を見てきて分かったのは、『被災者って突然被災者になる』ということなんですよ。つまり突然に非日常の世界になってしまう。そこは分からないことだらけです。例えば『罹災証明って何?』というところから始まるわけですね」(渡辺氏)
「そうしたものにも対応できるように『東京防災』にも『生活再建支援制度と手続き』という項目を設けています」(船川氏)
「ただこれだとやっぱり文字が多すぎて、とりあえず書いてあります程度でとっつきにくい。今後はこの部分に特化し、イラストなどで分かりやすく説明した『東京防災第2弾』を作ってもいいと思いますよ。
第2弾は『被災その後』、つまり復興に向けてのことを分かりやすく表現したものになるといいよね。災害が起これば『災害対策基本法』から始まって『災害救助法』があって、『被災者生活再建支援法』というように、ある程度パターン化された法や制度の流れがあります。災害のたびにこれらを使っているわけですから、そういうのを分かりやすく伝えることが本当に大切だと思っています」(渡辺氏)
このような指摘に対して、「そうしたご指摘もあります。今後は検討する価値はあると思っています」と船川氏も真摯に答える。
取材を終えて超高速ビルの東京都庁を見上げながら“防災の鬼”渡辺氏はつぶやいた。
「実際、今も地域防災計画の構造的な欠陥があると思っています。阪神淡路の震災が起こって、その後、神戸市の防災計画の見直しに関わったときに強く感じたんだけど、当時は『応急復旧』の次が『復興』なんですよ。ところが被災者の立場にたつと、その間に『生活再建』というものがどうしても必要になってくる。ここの部分がスッポリ抜けていたわけ。そういうふうに、制度の抜け落ちというのはいつでも問題となるところです。そうした部分に『東京防災第2弾』が全国に先駆けてフィットする内容になれば、我々危機管理のプロとしてもありがたいんですけどね」(渡辺氏)
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