トランプ氏の対中戦略は2017年の重要なリスク指標の一つだ(写真:AP/アフロ)
2017年の日本経済や金融市場はどんな展開になるだろうか、と考える時、殆どの人がトランプ次期米大統領の政策の影響を真っ先に思い浮かべるだろう。確かに国内にも安倍政権の安定性や日銀の長期金利コントロール力、賃金上昇の継続性、個人消費の回復力といった気になる要素は多々あるが、アベノミクスという政策支柱を失ったいま、海外情勢が日本を揺さぶる傾向は反転しそうにない。
さらに不確実性の高い「多変量市場」に
「トランポノミクス」の次には、重要な選挙が相次ぐ欧州の政治リスクが挙げられる。3月にはオランダ総選挙、4~5月にはフランス大統領選挙、9月にはドイツ総選挙が予定されており、イタリアも総選挙前倒しとなる可能性が高い。英国のEU離脱という面倒な話がどう展開するのかも、正直言って読めない。
新興国に目を向ければ、トランプ氏と「共鳴」しあうプーチン大統領は原油価格安定化という順風を受けてその覇権主義に磨きを掛け、欧州や中東の地政学構造を揺さぶり続けるだろう。反対に米国との対立色を強める中国では資本逃避が止まず、ブラジルやトルコそして南アフリカなどもドル高・金利高の下で資本流出を懸念する日々が続きそうだ。
中東では、サウジアラビアの域内指導力や王室権威の低下が囁かれており、ロシアとイランの結束にトルコが一枚絡むような展開になれば、中東の秩序変化といった新たな地政学リスクが浮上することも想定される。かくして2017年は、2016年よりもさらに不確実性の高い「多変量市場」になるかもしれない。
だが11月以降の「トランプ効果」を通じて米国の主要株価指数が連日の最高値更新となったことで、市場ではこうした材料への警戒感が低下傾向にある。減税やインフラ投資そして規制緩和といったトランプ氏の政策に対する期待感は、驚くほど強い。
米国株にはPER(株価収益率)やCAPE(景気循環調整後のPER)など割高感を示す警戒シグナルが鳴りっ放しだが、この強気ムードは新年に入っても当分継続し、日本株もそのお零れに与る日々が続きそうだ。ウォール街では5~10%程度の株価上昇率が今年のメインシナリオとなっているようだ。
1年ぶりの利上げを決定したFOMCの声明文に、来年の利上げペース加速を読んだ債券市場では利回り水準調整が起きているが、現時点で株価に与える影響は軽微である。新興国市場からの資金流出も、エコノミストらが懸念するほど深刻な状況ではない。
さすがにトランプ大統領就任前後には多少の株価下落場面が訪れてもおかしくないが、下値は堅いとの見方が大勢だ。ドル円も同様に、110円程度への下値はあっても100円を割り込むような円高トレンドに転換する可能性は低いだろう。
トランプ大統領の登場が、金融市場だけでなく実体経済のセンチメントも修正して民間投資の拡大を誘うようなことになれば、財務長官に指名されたムニューチン氏が掲げるような4%成長とまではいかなくても、3%前後の成長軌道を描く可能性が全くないとは言えなくなる。エール大学のケネス・ロゴフ教授のように「トランプ次期大統領の政策は米国経済再生の夢を実現させてくれるかもしれない」と期待を寄せ始めたエコノミストもいる。
但し、上下院の過半数を共和党が握っているとはいえ、同党は財政支出拡大にはさほど熱心ではなく、トランプ氏のインフラ投資計画が思い通りに進まないことは有り得る。10年間で1兆ドル投資とは言いながら連邦政府の支出は限定的で、民間投資に対する税額控除が主体となる可能性が高い。市場の期待は明らかに過剰であろう。
また減税に関しても、共和党重鎮のマコーネル上院院内総務が「財源無き減税には反対」との姿勢を示しており、歳入増の計画性が乏しいトランプ案は議会で厳しい洗礼を受けるかもしれない。企業収益に対するドル高の影響を懸念する声もある。かくして2017年の「多変量市場」は、トランプ氏の経済政策に対する失望感の台頭でいつか不安定化することは想定しておくべきだろう。
長期金利の上昇と米中関係悪化がリスク
そうしたシナリオにおいて、筆者が最も重要なリスク指標になると考えているのは「米国の長期金利水準」と「米中関係の行く先」の2つの変数である。やや乱暴に言えば「トランポノミクス」への失望感による株価やドルの下落は一時的かつ限定的で、欧州や中東の激震もそれなりの下押し圧力となろうが、相場の反発力は残るだろう。だが米長期金利が3%以上に上昇したり、米中関係の緊張や悪化が鮮明になったりすれば、市場の楽観ムードが一足飛びに悲観へと転じる可能性があると考えている。
まず長期金利の点から整理しよう。米国市場では既に「債券から株へ」の動きが生じており、それが多少加速してもさほどの影響はない、との見方も有り得る。だが1~2%台の長期金利推移に慣れた金融市場と実体経済は、恐らく3%水準の世界には相当の違和感を抱くことになるだろう。
ダブルライン・キャピタルの最高経営責任者で「新債券王」の異名を取るガンドラック氏は「長期金利が3%に上昇すれば社債やジャンク債の市場流動性に影響が生じる」と指摘している。だがその影響は、自動車ローンや住宅ローンそしてカードローンなどの金利上昇を通じ、負債額が増加中の家計負担に反映されて、実体経済にも及ばざるを得まい。それは、いま市場の視野から消えつつある「景気拡大局面の終了」のシナリオを思い起こさせることになる。
因みに現時点で米国経済の拡大は90カ月目(戦後平均は58カ月)に入っており、景気サイクルが成熟期或いは最終局面に近付いていることは否めない。トランプ氏のインフラ投資計画が実現化するのもまだ1年程度先の話である。長期金利が先走って上昇すれば、景気は腰折れしかねない。その長期金利上昇を誘い始めているのが、先般利上げを決めたFRBである。
約1年ぶりの利上げは既に織り込み済みであったが、市場は3カ月に一度公表される「ドット・プロット」と言われるFOMCメンバーに拠る政策金利見通しにやや過剰に反応した。FRBはタカ派に転じたと見た債券市場では長期金利が2.6%にまで上昇、7月に付けた1.3%台から「倍増」したことになる。トランプ氏が大統領選挙に勝利して以来、市場にはその財政政策がインフレ率を押し上げるとの観測が強まっており、このFOMC声明文が金利上昇見通しをさらに強めることになった。市場には「FRBは2017年に3回利上げ」との見方が広がっている。
だが正確には、何人かの委員がトランプ氏の財政支出拡張をインフレ要因と見做して利上げ予想回数を2回から3回に引き上げた、ということに過ぎない。その人々が2017年に投票権を持つ委員なのかどうかも不明である。FRBの景気・雇用・物価見通しは殆ど変わっておらず、慎重な金利水準調整という方針も不変で、数名の委員がトランプ効果を過大に評価して見通しを変更した、との印象は拭えない。
2012年から導入された「ドット・プロット」が金融政策予想に殆ど役に立たないことは、過去4年間で実証済みである。FRB内部からも「飽くまで参考意見」と指摘されており、一部には「この政策金利予想は廃止すべき」と主張する向きさえある。
今年の政策金利見通しとして「年3回の利上げ」と決め打ちするのは早計だ。現時点ではせいぜい6月の利上げくらいしか見通しが利かない。FOMCの動向を予想するにあたっては、「ドット・プロット」よりイエレン議長の言葉の方がより重要になるだろう。
同議長は「インフレ率は依然として目標値を下回っている」と説明し「金融政策は後手に回っていない」と主張している。そして財政政策に関しては「中身を知るには時期尚早」と述べ、その効果は金融政策に影響し得る一つの要因でしかないと指摘、市場の先走り感に釘を刺している。
因みにJPモルガンは、トランプ効果を2017年半ばからの2年間で年率0.25%程度の底上げに留まると分析し、2017年と2018年の成長見通しをそれぞれ1.8%と1.9%という低水準に置いている。モルガン・スタンレーも同様に今後2年間の成長率は2%に止まるとの見通しを示している。筆者もそうした見方に同感だ。
だが金利上昇への不安感を抱く債券市場が、深読みし過ぎて長期金利の急速な上昇を招くことがないとは言えない。インフレ期待感の高まりから長期金利が3%に接近するようになれば、景気後退懸念とともに株価が反落して2016年の上昇分を吐き出してしまう可能性すらある。
米中「G2時代」の到来
そして、既に嫌なムードが強まりつつある米中関係が、第二の重要変数である。国際政治の場ではイアン・ブレマー氏が説く「Gゼロ時代」が人気を博しているが、国際経済や国際金融の世界ではやはり「米中のG2時代の到来」が現実的な認識だ。その米中経済関係の不安定化は、文字通り市場の大敵である。
中国リスクといえば「またか」という顔をする人も多く、「聞き飽きた」という感想もあろう。だがリスクが存在する以上、そしてそのリスクが上昇中である以上、中国問題は避けて通れない。
中国は過去15年間、WTO加盟と人民元の切り下げ方針で急速に競争力を高め、世界最大の輸出大国にのし上がった。その過程で多くのダンピング認定や為替レート論争を巻き起こしたのは事実だが、貿易戦争といった陰険な状況に陥ることはなく、妥協的な判断を踏まえつつ世界経済の成長にも貢献してきた。その穏健な交易の風向きは、中国と米国双方の国内事情で急速に変化し始めている。
昨年末には、欧米が中国を市場経済国に認定することを拒絶したとしてWTOに提訴し、その報復措置のように中国が穀物類輸入への不当な高関税を掛けているとして米国が同国をWTOに提訴する「貿易紛争」が起きている。別に目新しい対立ではないが、選挙中に中国を槍玉に挙げてきたトランプ氏が大統領に就任する前から両国間で火花が散っていることは憂慮すべき事態だ。
中国が先進国の支配する貿易ルールに不満を抱き続けていることは否定できない。習主席は経済改革派を排除しつつ、保守派に傾斜する政治体制の下で、特に対米通商問題に関して報復措置を含む強気な態度で臨むことだろう。
一部には、トランプ氏が就任初日にTPP離脱を表明すると明言していることで、アジア・太平洋地域の通商交渉の主導権を中国が握り優位に立つ、といった観測も上がっているが、自己中心的なルールを策定しようとする中国への不信感は根強く、そう簡単ではあるまい。
米中の経済関係は、お互いに激しい衝突を避けてきた過去15年間と違って、刺々しい場面が頻出することも想定される。その最大の理由は、両国の首脳がともに貿易を「ゼロ・サム・ゲーム」だと勘違いしていることだ、とFT紙は喝破している。
米商務長官に指名されたロス氏は自由貿易に理解があるとはいえ、トランプ氏は政府内に「国家通商会議」を立ち上げる構想を抱いており、その委員長には対中強硬派で知られるナヴァッロ氏が起用される見通しだ。また、実際の通商交渉を取り仕切るUSTR代表に指名されたライトハイザー氏は、レーガン時代の対日貿易戦争の際にUSTRの次席代表を務めた経験のあるバリバリの保護主義者である。財務長官に指名されたムニューチン氏を通じ、新政権が為替操作国認定という圧力を掛け続けることも容易に想像できる。
WTOなど国際機関の存在感低下が顕著な中にあって、「G2時代」にその両国関係を仲裁する機能が不在であることは実に不気味である。ウィン・ウィンであったはずの貿易関係が、保護主義とその報復措置の応酬で双方にとってマイナスになるリスクに、昨年まで市場は殆ど無警戒であったが、今年は注目せざるを得なくなるだろう。
過剰生産や不良債権増に悩む中国はいま、資本流出による人民元下落とその対応としての介入による外貨準備の急減といった状況にも直面している。FRBの利上げ姿勢が人民元下落を加速すれば、成長鈍化の中での利上げを余儀なくされる可能性すらある。
トランプ相場は意外と長期化する可能性も
1970年代は米中接近に拠ってロシアが封じ込められたが、トランプ政権は米露接近を通じて中国を孤立させようとしているようにも見える。足許の国内経済の行き詰まりを打破するために中国が対外的に強硬策を取れば、コラテラル・ダメージを恐れる市場も平穏ではいられなくなるだろう。アジアは新たな地政学リスクの場になる可能性がある。
大統領選勝利後にトランプ氏が示唆した「一つの中国路線」の否定は、米中関係の悪化スピードを加速したかもしれない。米国は駐中国大使に習主席と親交のあるアイオワ州知事を指名すると報じられているが、中和剤としての機能は限定的だ。
政治・経済分野での米中の協調関係は崩れつつあり、金融面では資本の流れが中国政治体制を揺さぶりかねない状況になってきた。昨年末から顕著になっている中国債券市場における利回り急上昇の傾向も、気になるシグナルの一つである。
とはいえ金融市場は、いましばらくトランプ相場に酔うことだろう。このユーフォリアは意外に長期化する可能性がある、と筆者は考えている。相場の宿命として、早晩二日酔いに襲われる時期は来るだろうが、米国長期金利と米中関係の行方が深刻化しなければ、その頭痛も軽微に終わるのではないか。
ただ、こうして頭で考えるシナリオに限界があることは、昨年貴重な教訓として学んだとおりである。昨年の悲観論は楽観論へとポジティブに変貌したが、今年それが逆回転したとても、もう誰も「想定外」という言い訳は出来ないだろう。
2017年1月20日、ドナルド・トランプ氏が米大統領に就任する。トランプ新政権のキーパーソンとなる人物たちの徹底解説から、トランプ氏の掲げる多様な政策の詳細分析、さらにはトランプ新大統領が日本や中国やアジア、欧州、ロシアとの関係をどのように変えようとしているのか。2人のピュリツァー賞受賞ジャーナリストによるトランプ氏の半生解明から、彼が愛した3人の女たち、5人の子供たちの素顔、語られなかった不思議な髪形の秘密まで--。2016年の米大統領選直前、連載「もしもトランプが大統領になったら(通称:もしトラ)」でトランプ新大統領の誕生をいち早く予見した日経ビジネスが、総力を挙げてトランプ新大統領を360度解剖した「トランプ解体新書」が1月16日に発売されます。ぜひ手に取ってご覧ください。
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