EU離脱でロンドンの金融街、シティに開く穴はどれほどになるなのか (写真=ロイター/アフロ)
先週木曜日の国民投票で、英国はEUからの離脱を選択した。1973年のEC(当時)加盟から40年余り続いた政治経済構造の変化が意味するものは小さくない。為替市場や株式市場の大揺れは、まるで欧州史の大転換に対する弔いの鐘のようだ。
だが、恐らくそれは欧州にとどまらず、日本を含めた現代世界史の断層を示すものとして、後世に語り継がれることになるだろう。この事件はそれほどの重みをもつものである。英国が意識したかどうかは知らないが、彼らは21世紀のパンドラの箱を開けてしまったのだ。
もともと英国が、ブラッセルの役人に箸の上げ下ろしを命じられることに強い反感を抱いてきたことはよく知られている。ユーロにも参加せず、EU内の政治経済面ではしばしばドイツやフランスなどと対立を繰り返してきた。
だがその一方で、共同体の一員であることの利点も熟知し、過去半世紀近くの間、その枠組みの中で巧みに特異な地位を維持してきたのが英国であった。だが先週、移民問題への苛立ちが充満する中で、ユートピアニズムと官僚主義に陥った現状のEUに深く失望した英国は、なんとEUからの離脱を決めてしまった。
今後英国は、スコットランド独立や北アイルランド分離への動き、EUとの刺々しい離脱交渉、外国企業の英国離れ、経済成長率の急低下、資本コストの急上昇といった様々な逆風に見舞われることになるだろう。世界各国の市場不安も簡単には収まらないと思われる。
こうした点に関しては既に多くの評論がメディアに溢れているので、屋上屋を架すことは避けよう。やや重なるところはあるかもしれないが、今回は金融面を中心にして①シティの将来像、②ユーロの脆弱性、そして③2008年金融危機からの連続性、といった三点に絞って論点を整理しておきたい。
免れ得ないシティの存在感低下
今後英国がEUとどのような離脱交渉を行うのかは不明だが、長らく国際金融センターとして機能してきたロンドンに変化が生じることは不可避だろう。筆者が約9年間勤務してきた金融街シティを擁するロンドンは、言うまでもなくニューヨークと肩を並べる存在であり、為替や国際的債券、派生商品などの金融取引規模では世界一の市場と言ってもよい。そうした機能がいきなり消滅することは有り得ないが、それでも存在感の低下は免れ得ない。
英国金融の調査機関である「TheCityUK」の資料に拠れば、現在ロンドンに進出している外国銀行の数は約250行で、彼らのビジネスを支える外国系法律事務所は約200社を数える。2014年時点で金利スワップなどデリバティブズ業務の全世界に占めるシェアは約50%、外国為替取引は約40%、海上保険は約30%、国際的な銀行融資とヘッジファンド運用の残高がともに約18%という、巨大な金融センターである。
金融関連の雇用者数は、会計士や弁護士などを含めると約220万人の規模であり、金融ビジネスの経済的貢献度はGDP比12%と見積もられている。そこから納められる税金は、歳入の約11%を占める、という。
こうしたビジネスの一部が大陸諸国に奪われ、失業者が発生することは避けられない。PwCは失職者の数を最大10万人程度と推測しているが、それはやや甘い計算かもしれない。海外の大手金融機関が欧州本拠地を大陸に移す動きが顕著になれば、予想を超える数の職が、パリやフランクフルトに流れる可能性がある。
「単一パスポート」消失と大手金融機関の移転
交渉次第ではあるが、EEA(欧州経済領域)に参加してEUとの一定の接点を維持するノルウェーのような方式を採らない限り、ロンドンの金融界が活用してきたEUの「単一パスポート」は消失する可能性が高い。EU加盟国どこでも支店などを持たないで営業が可能になるこの便利な通行手形を失えば、英国に金融拠点を持つ意味は薄れてしまう。
2014年に改訂されたEUの「金融商品市場指令(MiFID Ⅱ)では、第三国の規制・監督体制が欧州委員会によって「EUと同等」と認めれば、加盟国内に支店を設けなくても営業ができるとされたので、英国は引き続き従前同様のビジネスが可能と期待する声もある。だが、同指令では「同等性評価決定の3年後にサービス提供が可能」としており、一度EUを離脱すれば相当期間のブランクが発生することは避けられない。
また銀行融資の面では、これまで「資本要求指令(CRD)」に基づくパスポートで預金や貸出、リースなど、国境を跨いだ取引が可能であったが、これもEU加盟国に新たに現地法人を設立しなければ業務が遂行できなくなる可能性が高い。
さらにビジネス流出確率の高いのが、ユーロ建て証券やユーロ建てデリバティブズ取引の清算(クリアリング)および決済(セトルメント)業務である。英国のLCHクリアネットはデリバティブズ清算業務で圧倒的なシェアを誇っており、ロンドンで取引され、ロンドンで決済される、という一連の業務の流れを囲い込んでいる。
ECBは、ユーロ建て取引はユーロ圏内で行われるべきと主張して欧州裁判所に提訴したが、この訴えは昨年棄却され、英国でのビジネスが維持された。だが今後はストーリーが変わるかもしれない。
「単一パスポート」の消失で大手金融機関におけるユーロ建て債券、クレジット商品、スワップなどデリバティブズのトレーディングおよびセールス、そしてその決済を担う部門がこぞって英国を去ることになり、清算や決済も英国を離れるとなれば、シティの業務に大きな穴が開くことになる。そして大規模なオフィスを構える法律事務所も、金融機関の異動とともに英国を去ることになるだろう。
既にJPモルガンやHSBCなど大手金融機関は、投資銀行の主要スタッフを英国から大陸に異動させる考えを示しており、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレー、そして大和証券などもロンドンの一部の機能を欧州大陸へ移転する検討を始めている、と報じられている。
英国は必死に利権を守ろうとするだろうが、ロンドンが独占してきた金融ビジネスを何とか奪い取りたいドイツやフランスが、交渉過程において勝手にEUを出ていく英国に対して甘い顔を見せることはないだろう。
ポンド急落より影響大きいユーロ崩壊
通貨の面で言えば、懸念されるのは「ブレグジット・ショック」で大揺れして30年ぶりの安値に沈んだポンドよりも、制度疲労が表面化しつつあるユーロである。市場では英国のEU離脱は「EUの終わりの始まり」か、と危惧されているが、それよりも「ユーロ崩壊の終わりの始まり」の方が現在の市場経済には脅威であろう。
ユーロは、ギリシアを発端とする危機的状況を2012年のドラギ総裁の「何でもやる」発言で乗り切ったが、通貨誕生時点で胚胎していた病巣は残ったままである。つまり、手術はしてみたものの再発の可能性を残した中途半端なオペに終わった、というのが実情だ。
PEW Research CenterがEU加盟国10カ国を対象に行った調査に拠れば、英国のEU離脱に関しては、英国以外の9加盟国の70%が「良くないことだ」と回答しているが、それは彼らがEUを高く評価していることを意味していない。
EUを好意的に見ている国はポーランドやハンガリーなど少数であり、10加盟国全体では51%に過ぎない。昨年以降、好意的な回答が顕著に減少しているのが英独仏そしてスペインなどの大国やギリシアである。難民問題の深刻化が影響していることは想像に難くない。
また英国と同様に、自国に一定の権限を取り戻したいと願う回答は6カ国で過半数を超えている。経済的な思惑から市場の一体化は望むものの、政治的な一体化即ち「欧州合衆国」の理念は受け容れられない、というのが多くの人々の思いであろう。それがEUの抱える本質的な脆弱性でもあり、その行政組織が硬直化している主因でもある。
英国のEU離脱を契機に、既にオランダやスウェーデン、デンマークなどで同様の国民投票を求める運動が始まっている。中軸国でも反EU運動が結束を固めるようになれば、ユーロの安定性を大きく揺るがすことになりかねない。それがイタリアから勃発するのか、スペインが火種になるのか、フランスが中核になるのか、或いは渋々ユーロを受け容れたドイツが主軸となるのか、解らない。
確実なのは、ユーロの脆弱性が世界に与える影響はポンドの急落どころの話ではない、ということである。それは、2012年以降たびたび世界の市場を襲ったユーロ危機を思い出せば十分だろう。
欧州では来年5月にはフランス大統領選挙が、来秋にはドイツの総選挙が予定されている。前者ではFN(国民戦線)のルペン党首が決選投票に残る確率が高く、後者では反EUの新興保守勢力であるAfD(ドイツのための選択肢)が議席数を増やすことが確実視されている。どちらもEUの存続性を脅かしかねない要因である。
こうした状況で、EUが英国の離脱を契機として共同体を維持することが一段と難しくなると見透かされ、投機筋に欧州狙い撃ちの機会を再び提供することになれば、市場不安が再燃してしまう。確かに現時点ではユーロへの危機感は下火になっているが、ユーロ圏が本当に通貨体制を維持出来るのかどうか、EUに対する不安感の延長線上に、再び疑念が沸いてくる可能性はある。
ユーロ圏の課題の一つが、通貨同盟に不可欠な統一預金保険制度への取り組みの頓挫である。ユーロ圏財務相会議では本件に関する議論の進展が見られず、先送り状態が続いている。最近、南欧国債の利回りがじりじりと上昇し、低下傾向を強めるドイツなどの国債利回りとの格差が拡大しているのは不気味な兆候だ。
スペインやポルトガルの政権は不安定なままであり、ギリシアの財政再建も楽観できない。英国なきあとのEUの耐性をテストするような、投機筋による南欧国債売りはいつ起きてもおかしくない。
英国の離脱によってEUにおけるユーロ圏の経済シェアが70%から85%に拡大することから、ユーロ危機はEU危機に直結しやすくなる、との見方もある。唯一の軸となるドイツに、果たして多大な自己犠牲を払ってまで共同体を死守する強い意志や覚悟はあるのだろうか。
源流は2008年の金融危機
そして日本にとって最も重要な視点は、2008年の金融危機との連続性である。今回の英国の判断は、唐突に起きたものではない。争点となった移民問題の源泉を辿れば、EUの夢想的な拡大主義に行き当たるが、その先には欧州各国における経済的疲弊という底流に行き着く。その主流をなすのはギリシアの債務危機であり、源流は2008年の金融危機なのである。
EU加盟国の移民がこぞって英国に流入したのは、同国の経済が比較的安定しており給与水準が高いことや、移民に対する社会保障が寛容であること、英語で仕事や生活ができることなど、幾つかの点が挙げられる。
これを逆に辿って見れば、金融危機以降の欧州大陸諸国における経済の低迷が、英国のEU離脱の引き金を引いたのだ、とも言えよう。EUによる財政支援やECBによる超金融緩和策にもかかわらず、南欧諸国における高い失業率や成長率の低迷が克服されたとは言い難い。
2008年のグローバルな金融危機は世界の資本市場を震撼させたが、今回の「ブレグジット・ショック」の市場破壊力も凄まじいものであった。前者は米国経済構造の歪みを起点とするものであり、後者は欧州における政治経済的構造の行き詰まりを反映したもので、必ずしも同質の危機とは言えないが、全く無縁のものでもない。
金融危機以降、なかなか完治できない経済的疲弊が今回の投票結果を生む契機になったと考えられるならば、今回の市場の大混乱は、2008年の「第一次ショック」に次ぐ「第二次ショック」と位置付けてもいいかもしれない。
また、国民投票を前に「EUから離脱すれば経済が急縮小して生活水準が低下する」と警告した政財界の声や、オバマ大統領、メルケル首相ら海外首脳からの残留支持の発言が、さほど効果をもたらさなかったことは、英国の大多数の人々のエスタブリッシュメントに対する不信感を象徴している。
それは米国に吹き荒れるトランプ旋風や日本におけるアベノミクスへの失望感にも通じるものがある。従って今回の「第二次ショック」は、欧州という枠を超えて、先進国の既存政治の限界が露呈したものであった、と読むこともできよう。日本社会も、この大きな流れの中の一コマなのである。
密接に結びつく金融政策の限界とEU離脱
2008年以降、先進国は主に金融政策を活用し、非伝統的な手段を繰り出して経済を活性化しようとしてきたが、所期の目的を達せぬまま限界論が広がっている。一足先に、見切り発車的に「金利正常化」を演出してみせた米国も、事実上の利上げ先送り状態に追い込まれている。金融政策の限界と英国のEU離脱は全く別問題のように見えるが、実は視界の奥で密接に結びついているのだ。
いま、欧米の悲観的な機関投資家やエコノミストは、英国EU離脱の延長線上に世界経済の暗黒時代到来シナリオを描き始めている。その想定下では、2008年の「第一次ショック」と2016年の「第二次ショック」だけでは終わらないだろう。「第三次ショック」が発生する候補地は、不良債権が積み上がった中国の金融システムかもしれないし、日銀が大量に抱え込んだ日本国債かもしれない。そんな危機意識を、参院選の討論の中に見出すことはできるだろうか。
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