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110カ国以上で緊急援助、開発事業などに関わり、現在、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略・投資・効果局長を務める國井修さん。生涯のテーマに掲げる「No one left behind(誰も置き去りにしない)」を実現するために、何が必要なのか。時折日本に一時帰国した時に“逢いたい人”との対談を通して探っていく。第10回のゲストはアルピニストの野口健さんです。
野口健(のぐち・けん)さん
1973年アメリカ・ボストン生まれ。高校時代に植村直己氏の著書に感銘を受けて登山を始める。1999年にエベレスト登頂に成功、25歳で7大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立した。2000年からはエベレストや富士山での清掃登山を開始。以後、全国の小中学生を主な対象とした「野口健・環境学校」を開校するなど積極的に環境問題に取り組む。 2015年4月にはヒマラヤ遠征中にネパール大震災に遭遇、「野口健 ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げて、ネパールの支援活動を行っている。

國井:今回のゲストは、アルピニストの野口健さん。初めてお会いしたのは8年以上も前、私がアフリカにいた頃ですが、その後も時々お会いして、いろいろ刺激をもらってます。復興後の東日本大震災の被災地にも一緒に行きましたね。健さんは個人として、よくあれだけの災害援助ができますね。

野口:東日本大震災の後もネパールや熊本の地震があって。3.11のときは寝袋などの軽物資を持っていくだけだったのですが、ネパールと熊本では自分たちがテント村という避難所を運営しました。いやー、ヒマラヤの現場にずっといてきついなと思ったとき、國井先生から「あんまり背負いすぎないでね」とメッセージをいただいて。

國井:Facebookのメッセージがヒマラヤまで届いたんだねえ。すごい。そして、地震のときに健さんがまさにヒマラヤにいたというのはまさに運命だね。現場の状況をリアルタイムに発信しながら、現場で救援活動を展開していった。いやあ、すごかった。僕もすぐに飛んでいって参加したかったです。

野口:ネパールで81年ぶりの地震。余震がすごくて登山隊が撤退していく中で、何かできることがないかなと思ったとき、カメラと通信機材があった。

 電話で確認すると、エベレストのベースキャンプで日本人が1人亡くなり、カトマンズでも多数亡くなって。それ以外のニュースはほぼないと聞き、僕がいる山間部で起きていることを伝えようと。現場はパニックだけど、何がどう大変かみんな分からない。なので特に家、全壊はA、半壊はB、一部Cという被害状況リストを作るために、1カ月弱でほぼすべての村を回りました。

國井:そうですか。

野口:僕しかいなかったので、現地のシェルパを5人つけて。それを日本に伝えるために写真を撮って、Facebookなどで発信していく。ヒマラヤ基金を集めるには、被害を伝えて関心を持ってもらわなければ。毎日壊れているところや悲しむ人などを撮るけど、余震が来ると村じゅう悲鳴が上がる。パニックになってうわーっと泣いている人が目の前にいて、撮るか撮らないか……撮らないと伝わらない。

 でもね、撮るのは勇気がいる。僕はどう見てもジャーナリストじゃない。山にいて、何でお前は人の悲しみにカメラを向けるんだと。躊躇するけど、そこは割り切って撮って。現場から写真付きで報告したことでインパクトがあったのか、トータル1億2000万円ぐらい集まりました。

國井:すごいね。

野口:そのお金でテントを届けたり、壊れた家を直したり。これから学校も作ります。

國井:あれは本当にリアルだった。健さんが自分の足でひとつひとつの村を廻って、自分の目で状況やニーズを伝えていった。被災者の視線で、いろんな角度から、リアルタイムに……。

野口:途中から毎日心がつぶれかけたんですよ。余震がすごくて、どーんと来ると山小屋が壊れてくる。なので、ちょっとした音に敏感になって、夜中でも飛び起きて逃げようと。それが続くと辛くなって。そんなときに先生にメッセージをいただいて、救われました。

國井:現場で支援していると「がんばらないと!」っていう使命感を背負ってしまうけど、疲れても休まず、悲惨な状況を現場で見て、自らも恐怖体験を味わってると、じわじわと精神を痛めつけられていくんだよね。

野口:ボディーブローのようにたまって、余裕がなくなる。例えば、僕がいろいろな村に行くと、いろいろな村人が困っていることを必死に伝えてきて、それを受け止めなきゃいけない。一戸一戸家を見て回っているとき、あるシェルパが俺の家はあと30分上と言うんですよ。もうすごく疲れているし、1軒だけのために片道30分坂道を上るのはきついけど、行ったんです。そしたら、ほとんど壊れてなかった。彼は必死だけど、僕が疲れてキャパオーバーになってたから、「お前、大して壊れてないだろ」と怒鳴っちゃって……。そしたら彼が「えっ」という顔をした。その瞬間に僕も「あっ、しまった」と思ってね。活動する側が追い詰められ壊れていくのを実感しました。

國井:そうそう、頑張りすぎてバーンアウト、燃え尽きてしまう人を、僕は何人も見てきた。いろんな災害現場で……。

野口:その反省があったので、熊本のときはテント村をつくったけど、夜はちょっと離れてホテルに泊まったことも。でもね、ホテルに泊まったり、ご飯を食べに行ったりするのはまずい、自分たちは我慢しなきゃいけないと、スタッフはみんな思ってたみたい。

國井:援助する側がオンとオフをきちんと分けるのは、人道援助ではとても重要。1~2週間なら現場にいてもいいけど、長期だったり過酷な労務だったりする場合は、なるべく夜はほかのところでオフにして気持ちを切り替えないと。バーンアウトは援助者の間でも感染することがあるんだよね。