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國井:日が経つと、変化がありましたか。

齋藤:震災直後はとにかく支援が厚かったけれど、7月以降はどんどん医者が引き上げて、以前と同じように医者が少ない地域医療になりました。

 センターには震災翌日の朝から、たくさんの患者さんが薬をもらいに来られました。病院の1階は壊滅的でも、病院に行けば何とかしてくれると思って来られる。毎日毎日患者さんが来て、我々としてもまともな医療を提供できなくて、逃げ出したいような思いもありました。でも頼ってくれる患者さんがいる限り、自分たちはここで頑張るしかないと。

國井:震災直後に僕がここに来たとき、本当に大変な状況だったものね……齋藤君自身、睡眠も食事もとれてないし。まあ学生時代、ラグビーで鍛えていて体力はあったろうけど。

 今後もどこで災害が起こるか分からない中、ほかの地域と連携を組みながらサポート体制をつくっていくことが重要だと思う。

 例えば、熊本で地震があったときは、石巻市の保健師さんの高橋さんらが現地に駆け付けて、自らの経験や知識を現場に応用してサクッと対応、支援してましたけど。そんな感じで、ここで得た教訓や経験をほかの地域に伝えていく使命がありますね。

 町長のリーダーシップで、いろいろな人たち、次の世代も取りこみながら前に進んでいってるし、まさに僕が理想としてきた住民参加の地域復興がここで実践されている気がします。これを被災したほかの地域の首長たちに伝えていくべきだと思いますが、町長はどう思われますか。

経済界メンバーの後押しに若手奮起

須田:私からすると、今の在り様はかなり結果論です。ここに暮らす人々、言い換えればこの地に残ることを選択した人々は、町のほぼ全域が被災し地域社会や職場などの帰属すべきものが全て失われた中で、自分自身がそこにどう向き合うかを突き付けられたんですね。そこから、動けるものから動き出し、各々の役割を果たすべく同じ方向に向かって一つ一つのものを紡いできた。その結果としての今です。冒頭にお話ししたように、経済界の主要なメンバーの方々から、若い人たちがやれという空気を最初に生んでいただいたのは大きいですね。とはいえ、若手に「僕らに投げられても大変」という思いがあったとしても、「我々がやらんで誰がやる」と奮起して強い力になった。さらに、各地を見に行ったり叱られたりしながら、いろいろな経験や学びがあったから、初めてこうなっているわけです。

 この経験を伝えて、何かあったとき今度は我々が助ける側になりたい。実際、うちに熊本の美里町から職員をひとり派遣していただいているときに熊本地震があり、こちらからも災害の家屋判定チームを4週間4チームに分けて派遣しました。我々の経験をすぐ生かすことができましたし、再建に向けてのフェーズでも、我々の経験を役立ててもらえると思っています。

國井:なるほど。困ったときはお互いさま、知見を共有しながらの助け合い。いいですね。

須田:町にはいろいろなお客様がいらっしゃって、先日は都市計画や区画整理について学びたいと、カブールの市役所の皆さんが来られました。ある意味では我々以上に大変なところです。そのカブール市役所の方々が何を学びに来たかと言うと、戦後復興で実施する区画整理での手法や地権者対応とか権利の保全とか。結構我々と同じようなことで悩んでいらっしゃっていて、ああ、どこでも同じなんだなあ、と。我々の経験や考え方が、国を超えて誰かの次のステップや危機から立ち上がることに関して生かせるのなら、積極的にやっていくつもりです。

 あとは先ほどお話ししたように、地域内でも新しいプレーヤーをつくって、役割は次に委ねて、かつ僕らの先輩がやってくれたように、余計な口出しをせずに弾よけになりたい。