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國井:町長は復興にあたって、何を大切にしていますか。

須田:まずベースとして、女川で1000億円を使わせてもらうとすると、国民1億2500万人から1人あたり800円ずついただいたお金で復興すると認識してやらなければいけないと思っています。そのお金が、被災当事者である我々の生活再建に向けられるのはもちろん大切なことですが、さらに次の世代につながるものにしようと話してきた。そして、きちんと質を保ちつつ、スピード感を大切にしています。

國井:プライオリティはインフラですか?

須田:最初に町の絵を描いた上で、そんな町にすべく何をどの順番にやっていくのかということですね。巨額を投じてつくったインフラが20年後に陳腐化していれば話にならないわけで、20年後にも通用するような町の姿と構造と、その上に乗る仕組みもちゃんとつくっていきたい。町の中心に病院があって、公共動線は病院と駅、学校、町広場。この4施設の一時利用者、つまりここに残っている人間だけでまちのへそに年間20万人の流れが確実にできる。これを軸としてそのほかの日常生活の動線や観光客の流れなどをここに収れんしていく仕組みをつくろうとしています。

國井:高さ的にはどうでしょう。

須田:今回、高台移転というのを半ば義務的にやらなくちゃいけないので、そうすると面利用がどうしても分断せざるを得ない。その中で全体として人や物の流れをなるべく収れんさせつつ、それぞれのエリアをどう伝搬させていくかということを強く意識した構造になっています。人が減っても人の流れが途絶えないような町の構造にしていくことが、最初にインフラの基本形を考える上で一番の課題意識でした。

支援が来た瞬間に泣き崩れた

國井:ここからは、女川町立病院(現・女川町地域医療センター)の齋藤充院長にも加わってもらいましょう。齋藤さんは大学(自治医大)の1年後輩で、学生時代からよく知っていましたが、まさか災害支援で女川の町立病院を訪ねたときにそこで会うとは思いませんでした。驚きでした。大学卒業以来の再会でしたね。

齋藤:私が女川に来たのは、震災のちょうど1年前。医者がいなくなって、病院が存続の危機に立たされたとき、地域医療振興協会に医者の派遣要請があって、私が来ました。震災のとき、私は病棟にいて、気が付いたら病院のまわりは全部水が回り一瞬で町がなくなり、現実とは思えない状況でした。

 最初の3日間はほとんど寝ないで、家族とも連絡が取れなかったので、3日目には頭もおかしくなってきていた。翌日、地域医療振興協会から支援の医者が来た瞬間に泣き崩れたほど限界でした。

 地域医療振興協会の支援があったおかげで、震災直後のうちの病院は何とか維持できた。1階は壊滅的だけど、2階を救護所みたいにして何とか活動を続けられた。ほかの地域では医者が踏ん張り切れずにやめてしまったところや、病院自体が津波で流されて、地域から病院の機能がなくなったところもあります。