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 110カ国以上で緊急援助、開発事業などに関わり、現在、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略・投資・効果局長を務める國井修さん。生涯のテーマに掲げる「No one left behind(誰も置き去りにしない)」を実現するために、何が必要なのか。時折日本に一時帰国した時に“逢いたい人”との対談を通して探っていく。第9回のゲストは女川町長の須田善明さんです。

須田善明(すだ・よしあき)さん
1972年女川町生まれ。明治大学卒業後、広告代理店勤務を経て、99年宮城県議会議員に初当選、3期を務めた後、2011年11月に女川町長に。東日本大震災による津波では自らも家を失い、母、妻、長男、長女と仮設住宅に住んだ。父は1983年から16年間女川町長を務めた故善二郎氏。

國井:対談シリーズ9回目のゲストは、宮城県女川町長の須田善明さんです。2011年3月11日、女川町は地震が引き起こした津波に襲われ、未曽有の災害に見舞われました。私は初めの2カ月と、その後数回女川に来て、町長にもお会いしましたね。復興をずっと支えてきて、どんな思いをお持ちですか。

須田:私としては、あるべき姿を目指して皆さんと一緒にずっと走ってきたという感じ。振り返って総括できる段階ではなく、まだまだ走らなければというのが正直なところです。

國井:震災前後で、町の人口はどう変わったのでしょう。

須田:震災前は約1万人が暮らしていましたが、震災で800人以上がお亡くなりになり、生存確認できたのは当時9183人。2018年12月1日現在の人口が6513人です。

國井:3割以上減っている……。

須田:平成22年と27年の国勢調査によると、東京23区あわせて全国1741市町村がある中で、女川の人口減少率は全国1位、ワーストです。

國井:理由は?

須田:震災直後は生活の再建地を求められる状況ではなく、近隣の石巻市を中心として内陸部に移転された方が多かった。なぜなら、空き家を探そうにも7割以上の家屋が失われたので空き物件すらない、という状況でした。全壊流出、津波に持っていかれたのが3分の2で、半壊や大規模半壊で取り壊したものを含めると7割以上の建物が1度なくなっている。一部損壊まで含めると被災率は住宅に限れば9割を超えましたので。

國井:うわあ、なんとも惨い。

須田:現状、町の高齢化率が37%弱で、年間の出生40~50人に対して亡くなる方が130~150人ぐらい。毎年100人前後は自然に減ることになります。とすると計算上、自然減だけならば今は8400人のはずですが、実際にはさらに2000人近く減っているわけで、相当数がお引っ越しされています。

國井:私も震災後にいろいろなところを回らせてもらいましたが、女川は本当に住める場所が少ないですよね。住宅はどんな状況ですか?

須田:町で建てて被災された方が入る災害公営住宅が約860軒、町内に自分で建てられる方は約500軒。今年度当初において予定数に対し99%の供給率をようやく迎えることが出来ました。町外で既に自分で家を建てている方が町に戻るケースは少ないでしょう。日本全体に言えることですが、人口が減る現実を受け止めた上で、どう町をつくっていくかというのがベースにあります。