
國井:面白いね。人間って、いろいろな経験をして挫折をしないと見えないことがあるんだよね。
葉田:僕は、小学校の卒業文集のタイトルが「生きる意味」でした。変なセンスだったんです。
生きる意味は一生模索するもの
國井:ある意味で早熟だったんだねえ。でも、生きる意味というのは一生模索していくものだと思う。僕自身も生きる意味をどこまで分かっているのか、実は分からない。
葉田:えー、そうですか。
國井:昔は生きる意味が分からなくて悩んでいたし、今も分からないけど、悩むより行動することにした。行動して限界にぶつかっても、悩んだりダメと思わずに、どうやったらクリアできるか、次の行動に集中するわけ。生きる「意味」より生きた「結果」に今は関心を持ってる。その限界をクリアするためには、今まで信じてた道や手段も放棄することもある。
例えば僕は医者として患者を診ることはとても好きだったけど、ソマリアで医者として働くだけじゃ、できることに限りがあると思って医者を捨てた。患者が病気になってからの治療じゃ助けられるのに限界がある。根本原因が汚い水衛生や栄養不良だったりするからね。薬では根本治療ができないことが多い。それで予防のための手段、政策や戦略作りなどのパブリックヘルスを学ぶためにアメリカに行ったの。その後も実は少し未練があったので、しばらくは医者として患者も診てたけど、途中からは二足のわらじは無理だったので、途中からはパブリックヘルス一本に絞った。日本国内の医療も辞めて、国際協力一本にしましたよ。JICAのプロジェクトなどで、途上国の地域保健、母子保健、感染症対策などに従事して年の3分の2くらいは途上国にいたかな。
葉田:なるほど。
國井:でもまた限界を感じたんだよね。政府が日本人を危険な目に遭わせられないから仕方ないんだけど、援助だと、日本人をあまり危険な場所に派遣できない。最も病気が多くて人が死んでいるのに、なぜその地域に支援できないの、って。さらにね、折角いいプロジェクトを開始しても、予算などの制約があって5年で終了なんてことも。
自分はどうせやるなら、最も支援が必要な場所で長期的に腰を据えた貢献をしたかったので、国連に移った。それも現場に最も近いところで、最も必要としている人々にサービスを提供してるユニセフにね。
実際に働いて本当によかった。ユニセフは軍事政権であっても紛争下であっても、いろんな技・裏技を使って現場に必要な支援を送り届けようとする。現地の市民社会や国境の向こう側にいるNGOと協力し合ったり、時には武装勢力や反政府勢力とも交渉したりね。ミャンマー、ソマリアでは100万人単位の規模でワクチンや医薬品を全国の紛争地にまで届けていった。診療所の改修からコールドチェーンの整備といったハード面から、診療所や地域の人材育成といったソフト面までカバーした。現場だけじゃなくて、政府に働きかけて国の母子保健計画や人材育成の戦略を作ったり……。
葉田:そうなんですか。

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