110カ国以上で緊急援助、開発事業などに関わり、現在、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略・投資・効果局長を務める國井修さん。生涯のテーマに掲げる「No one left behind(誰も置き去りにしない)」を実現するために、何が必要なのか。時折日本に一時帰国した時に“逢いたい人”との対談を通して探っていく。第8回のゲストは医師でNPO法人あおぞら代表の葉田甲太さんです。
葉田甲太 (はだ・こうた)さん
医師、NPO法人あおぞら代表。1984年兵庫県生まれ。国境なき医師団に憧れ、日本医科大学へ進学。大学在学中に150万円でカンボジアに小学校を建てられることを知り、仲間と実現した経緯をつづった著書『僕たちは世界を変えることができない。』を2011年に出版し、同年に向井理主演で東映より映画化される。2014年にカンボジアで新生児を亡くしたお母さんと出会い、2018年2月にカンボジアへき地に保健センターを建設。2019年3月よりタンザニア病院建設プロジェクト開始予定。『僕たちは世界を変えることができない。』『それでも運命にイエスという。』は累計10万部に(写真:尾関裕士)
國井:今回のゲストは、医師でありNPOあおぞら代表の葉田甲太さん。学生時代に『僕たちは世界を変えることができない。』という本を書き、2011年には映画になったそうですね。なぜ医者になろうと思ったんですか?
葉田:そもそもは国境なき医師団に憧れて、人の役に立ちたいという思いが強かったんです。日本医大の2年生のとき、「150万円でカンボジアに学校を建てることができる」というパンフレットを見て、仲間を募って小学校を建てるまでの経緯を本にまとめました。
國井:読ませてもらったけど、冗談抜きで面白かった。それにしても、よくあれだけ自分をさらけ出したねえ。僕はあそこまで自分を裸にできないなあ(笑)。
でも最終的に本がヒットして向井理さん主演で映画化もされたから、これまで国際協力に関心のなかった人たちにも知ってもらうきっかけにもなりましたね。
葉田:僕は国際協力の人の本を読むたびに、こんなすごい人にはなれないと凹んで。だから、日本に1冊ぐらいしょぼい奴が書いた本があったほうがいいと思ったんです。
國井:本読んでさ、彼女がいないとかデリヘリとか書いてあるから、相当モテないタイプかなと思ってたんだけど、実際に会ってみたら……全然そんなことない。向井さんと一緒に撮ってる写真を見て、僕はどっちが向井さんかわかんなかった。
葉田:向井さんファンからクレームくるんでやめてください(笑)。
國井:それにしても、本を書いて映画化されて、相当バブったでしょう(笑)。
葉田:芸能人みたいな(笑)。遠い所から、わざわざ外来受診される方も、いらっしゃいました。
でも、医師となった後に、自分の将来に正直迷いました。国際協力のキャリアを積むなら、国境なき医師団やNPOで命をかけて臨床するか、国連や JICAや国際協力医療センターで白衣を脱いでパブリックヘルスでキャリアを生き抜くかの2パターンしかないなと……迷っていました。
國井:なるほど。
葉田:そんな中、北スーダンのNPO法人ロシナンテスの川原尚行先生と講演で一緒になりました。そのとき、僕はあえて聞いたんです。「先生は医務官という年収1000万円以上の仕事を捨てて、10年も活動されてこられて、羨ましい気持ちとか、後悔とかないですか」って。
そしたら「スーダンで目の前にいる人が笑ってくれたら、俺は楽しい。楽しいからずっとやってるんだよ」って。シンプルな思いでそこまでやる人がいることに感動して、それでいいんだと思えたんですよ。
國井:川原先生はラガーマンだったっけ。前から知ってるけど、ナイスガイ。まっすぐな男だよね。
葉田:そうなんです。大人になってから色々考えてしまったのですが、川原先生と出会って、「誰かのために貢献したい」という、小さい頃に思った様なシンプルな気持ちが、やっぱり一番大切で、行動する理由はそれで良いんだと思えました。2014年にカンボジアで、生後22日目の赤ちゃんを肺炎で失い、ずっと泣いているお母さんに出会ったんですが、「ああ、お母さんが子どもを失う悲しみは世界共通なんだ。子どもの命を守りたい、お母さんの涙を減らしたい」とまたバシッとスイッチが入って。
帰国後、長崎大学の熱帯医学講座に学びに行き、誰か一緒にやってくれないかと探したら、ロールプレイングゲームのようにどんどん仲間が増えた。国際NGOのワールド・ビジョンに「カンボジアに病院を建てたい」と相談したら協力してもらえることになったり、ぴったりの小児科医にもめぐりあったり。そして、クラウドファンディングで当初の目標150万円を2日で達成して、最終的には40日間で480万円集まったんですよ。
國井:おー、すごいね。
葉田:その上、たくさんの人に「ありがとう」と感謝されて、NICU(新生児集中治療室)の先生も寄付してくださって。皆さん、こういうことをやりたいけどできないから、みたいな思いがあるんだなと。
國井:まさに思いを本当に実現してくれたという感じなんだろうね。今回、支援してくれた人をカンボジアの保健センターのオープニングセレモニーに連れて行ったとか。
葉田:そうなんです。いろいろな人に国際協力に興味を持ってもらいたくて、助産師さんになりたい人や高校生を連れて行きました。そしたら、「医者になってこの人たちを救いたい」とかスピーチしてくれて。国際医療ってすごく苦しいときが結構あって、そんな中で1%めちゃくちゃ楽しいときがある。それが麻薬みたいになって頑張るんですよね。
國井:そうだよね。
葉田:テレビに出ているNPOの人たちって、医者だから聴診器をあてて活躍しているように映る。僕は小中高とそれを見てきて、医者になって聴診器をあてたら村を救えると思っていたんですよ。
國井:ああ、だよね。僕もそう思ってた(笑)。
励まされた中学生からの言葉
葉田:でも、実際はまったくそんなことないと分かってしまって。カンボジアの病院プロジェクトを始めるときも結構いろいろへこんで、僕がやる意味あるのかと心に引っかかってた。でも、日本の最果ての与那国島で総合診療医として働いている時に、僕の本を見て医者になりたいと思った、と言ってくれた中学生がいて。自分一人の力はちっぽけでも、世の中に貢献できることもあって、影響を与えた人たちがなし遂げたことを積分したら、実はすごいことができるんじゃないかと気づいた。だから今やっている行動も、世界から見たら決して大きくないけれど、小さなことに思い切り心を込めたら、それを広げてくれる人がいるかなと。30代はそれをやりたいなと思っているんです。ただ、その先のことをどうしようかなと思っていて。
國井:今いくつでしだっけ?
葉田:今34歳です。
國井:若いねえ。28歳でバブって、そのあとぐわーっと行って、そしたらゴールや道が見えなくなった……。
葉田:やっぱり早いとだめですね。人間徐々に上がっていくのがいいと思いますよ。でも、その中学生との出会いに救われて、もっと成長していこうと今もがいている最中です。
國井:面白いね。人間って、いろいろな経験をして挫折をしないと見えないことがあるんだよね。
葉田:僕は、小学校の卒業文集のタイトルが「生きる意味」でした。変なセンスだったんです。
生きる意味は一生模索するもの
國井:ある意味で早熟だったんだねえ。でも、生きる意味というのは一生模索していくものだと思う。僕自身も生きる意味をどこまで分かっているのか、実は分からない。
葉田:えー、そうですか。
國井:昔は生きる意味が分からなくて悩んでいたし、今も分からないけど、悩むより行動することにした。行動して限界にぶつかっても、悩んだりダメと思わずに、どうやったらクリアできるか、次の行動に集中するわけ。生きる「意味」より生きた「結果」に今は関心を持ってる。その限界をクリアするためには、今まで信じてた道や手段も放棄することもある。
例えば僕は医者として患者を診ることはとても好きだったけど、ソマリアで医者として働くだけじゃ、できることに限りがあると思って医者を捨てた。患者が病気になってからの治療じゃ助けられるのに限界がある。根本原因が汚い水衛生や栄養不良だったりするからね。薬では根本治療ができないことが多い。それで予防のための手段、政策や戦略作りなどのパブリックヘルスを学ぶためにアメリカに行ったの。その後も実は少し未練があったので、しばらくは医者として患者も診てたけど、途中からは二足のわらじは無理だったので、途中からはパブリックヘルス一本に絞った。日本国内の医療も辞めて、国際協力一本にしましたよ。JICAのプロジェクトなどで、途上国の地域保健、母子保健、感染症対策などに従事して年の3分の2くらいは途上国にいたかな。
葉田:なるほど。
國井:でもまた限界を感じたんだよね。政府が日本人を危険な目に遭わせられないから仕方ないんだけど、援助だと、日本人をあまり危険な場所に派遣できない。最も病気が多くて人が死んでいるのに、なぜその地域に支援できないの、って。さらにね、折角いいプロジェクトを開始しても、予算などの制約があって5年で終了なんてことも。
自分はどうせやるなら、最も支援が必要な場所で長期的に腰を据えた貢献をしたかったので、国連に移った。それも現場に最も近いところで、最も必要としている人々にサービスを提供してるユニセフにね。
実際に働いて本当によかった。ユニセフは軍事政権であっても紛争下であっても、いろんな技・裏技を使って現場に必要な支援を送り届けようとする。現地の市民社会や国境の向こう側にいるNGOと協力し合ったり、時には武装勢力や反政府勢力とも交渉したりね。ミャンマー、ソマリアでは100万人単位の規模でワクチンや医薬品を全国の紛争地にまで届けていった。診療所の改修からコールドチェーンの整備といったハード面から、診療所や地域の人材育成といったソフト面までカバーした。現場だけじゃなくて、政府に働きかけて国の母子保健計画や人材育成の戦略を作ったり……。
葉田:そうなんですか。
國井:でも国レベルで働く限界も感じてね。というのは、ユニセフで働いていた時のミャンマーもソマリアも、世界から取り残されて援助も少ない。技術支援してくれる人も組織も少ない。ほかの国際機関と協力しようと思っても、なかなか連携・協調が難しい。これは世界レベルでそのような取り残された国や地域への援助の仕組みを作ったり、連携・協調のメカニズムを作ったりする必要があるなと思った。そんなんで、今のグローバルファンドに行き着いたの。世界全体を見渡して、150カ国もの国々の感染症による死亡と新規感染の分布を見て、さらにそれらの国の経済状況を鑑みて、どこにどのような資金援助をしていったらいいか。どのような援助機関と連携協力をしながら技術支援をしていったらいいか。最も脆弱で見過ごされがちな人はどこにいるのか。その人々に必要なサービスを届けるにはどのような仕組みを作ったらいいか。ゴールやターゲットをどこにもっていくか、その成果を測る指標をどうするか、そのデータや情報をどう集めるか。そんなことを今やってるんだよね。現場から離れて寂しいけれど、また違った意味での刺激や挑戦はいっぱいありますよ。
葉田:へー、そうなんですね。
國井:多くの国際機関や政府、市民社会などを動かして、世界的な仕組みを作るにはいろんな知識や人脈が必要でしょ。だから最近は様々な国の政治家や外交官、民間企業や市民社会などと付き合うことも多いです。それに医療はそれだけじゃ人を幸せにできないから、食糧、教育、経済、環境、平和構築、情報通信など、様々な分野の人たちとの付き合いも増えましたよ。
葉田:すごいですね。僕自身は、多分勘違い力が甚だしいんですよ。泣いている人を見て、何もしなければ、その涙が無駄になってしまう。自分が行動すれば、涙や、亡くなった命に少しだけでも意味を持たせる事ができるかもしれない。そんな出会って人に対する気持ちだけは、大尊敬している先生にも負けないつもりだし、もっと上を目指そうという気になる。先生の原動力はどこにあるのですか?
國井:僕は人がどうであろうとなんと言おうと、他人と自分を比較しないで、自分が信じていること、やりたいことをやるのが一番だと思ってる。道に迷いそうになったら、何をやったら自分が楽しいかを考える。失敗しても挫折しても、自分が好きなことなら前に進めるからね。楽しいと思うことは、歳と共に変わることもあるけど、それでいいと思うんだよね。そうやっているといつの間にかどんどん前に進んでいく。原動力というか、自然に動いていく感じかな。
100人調査で分かったキャリアの法則性
葉田:僕は長崎でキャリアの迷子になっているときに、100人分のキャリアを調べ上げて、ひとつの法則性を発見したんですよ。
國井:すごいじゃない。
葉田:みんな情熱のままにやっているだけという。単純にキャリアのために進んでいる人はいなくて、先生のように、スーダンの川原先生も楽しいからやっているとおっしゃっていたし、それでいいんですよね。
國井:それが一番いいと思うよ。自分も昔はキャリア設計とか考えたこともあるけど、実は計画通りにできることなんてなかなかないし、偶然や人との出会いなどで人生は変わっていく。そのほうがまた自分が思っていなかった面白さや充実感が人生に加わっていく。
葉田さんの場合は書いた本が映画にもなって、既に多くの人に影響を与えているし、聞いてみるといい仕事してる。これからも楽しみだねえ。
心が震えた「原点」を大切に
葉田:医者としてもNPOとしてもどんどん成長しつつ、人の幸せに貢献できる様に、色々な人に国際問題を伝える様な事もやっていきたいと思います。
國井:ただ、同じ場所に行って同じ経験をしても、成長の仕方が人によって違う。経験を自分の中でどのように消化して自分の体力や知力にしていくかって結構重要だと思う。
例えば、へき地で働くことをマイナスと考える医者もいるけど、僕にとってはへき地医療から学んだことはアメリカの大学院以上の価値があったと思う。ただ、そこでの経験を自分の中で一般化したり抽象化したり、他の事例と比較したり別のオプションを考えたり、いろんな形で分析・解釈するなど消化して、自分の「知の引出し」に入れていく。そうすると途上国の現場などでも使える知恵になっていきますよ。
葉田:そういう視点で見ていきます。30代のうちにNGOで活動を広げていって、カンボジアも、1億円を超えるタンザニアの病院建設プロジェクトも達成して、母子の命を救う手伝いをして、たくさんの方に国際協力に興味をもってもらうのが今の夢。さらに次のステップに行けるように、レベルアップしたいと思います。
國井:いいね。個人やNGOとしてそこまでやるのはなかなか大変だけど、葉田さんならできるよ。夢は単純で大きいほうがいい。そしてパッションは熱くね。それが最終的にはドライバー、葉田さんが言った原動力になる。スキルや考え方、アプローチなんて途中から変わっていっていい。でも自分で目標を決めたらそれを見失わないでいってほしい。ドライバーが強ければそれに向かって進んでいく。軌道修正はいくらだってできる。
葉田:好きなことや心が震える瞬間というのは変わらないんですよね。
國井:僕はアフリカに行くと、今でも心が震えることが多いよ。全身が焼け付くような大地に立って、広い地平線に真っ赤な夕日が沈んで、バオバブやアカシアがシルエットに映る光景なんか見ると、大きく深呼吸しながら、帰ってきたなあって感じ。あとは緊急援助の現場。災害や緊急事態はないにこしたことはないけど、それが発生したら今でもその現場で働きたいと思う。緊急援助は自分が医者として働き始めた原点でもあるんでね。
葉田:原点って大切ですよね。僕はカンボジアの病院に行ったとき、お子さんをなくしたお母さんが次の子を妊娠していて、次はこのヘルスセンターで産みたいと言ってくれて。やっぱり自分はこういうことをやっていきたいと再確認したし、この笑顔を広めるためにはもっと自分自身が成長しなきゃいけないと強く思いました。
國井:ぜひ頑張ってください。葉田さんのような若い力が、次のジェネレーションを創っていくし、新たなエネルギーを生み出していくから。周りになんといわれても、自分を信じて。
葉田:はい、頑張ります。今日はすごく元気が出ました。ありがとうございます。
(構成=佐々木恵美)
Powered by リゾーム?