私にとっての会議の「成功」とは、それを通じて「何が生み出されたのか」「何が変わったか」なので、成功か失敗か、今のところ判断ができない。

 ただ、印象として感じたことは、「アフリカも開発を自分自身の問題として本気に考えている」ということ。「援助に頼るのでなく、自助努力して援助から自立していきたい、日本からはそのための支援と共に、Win-Win関係となるような投資をして欲しい」。そんなアフリカ諸国の強い熱意と決意が伝わってきた。

 過去に開催されたTICADは日本が主催していたこともあり、アフリカ諸国は招待された「お客さん」という感が否めない。最初のTICAD Iを開始した1990年代は、ソマリアでは映画「ブラックホークダウン」に描かれたような戦闘・内戦が繰り広げられ、ルワンダでは80万人といわれるジェノサイド(大量虐殺)が発生し、コンゴでは6カ国を巻き込んだ戦争が200万人を死に追いやるなど、平和で安定した国を探すのが難しいほどアフリカは荒れていた。独裁政権の下、腐敗や汚職がはびこり、私も当時アフリカを訪れると、多くの国の空港で、また警察から金を要求された。人々は貧困や病苦に喘ぎ、私が訪れたアフリカの多くの診療所や病院でエイズやマラリアで溢れるほどの患者がいながら、治療薬や医療者の不足で多くの命が失われていた。

「絶望の大陸」から「動き出したライオン」へ

 以前「暗黒大陸」と言われていたアフリカは「絶望の大陸」と呼ばれるようになった。とても「自立」には程遠く、TICADで日本がアフリカの「オーナーシップ」と国際社会との「パートナーシップ」を叫んでも、当時は空しく響いていたかもしれない。

 しかし、今から振り返ると、東西冷戦が終結し、国際社会のアフリカに対する関心が薄れつつあった時期、国際社会のアフリカへの関心を呼び戻すきっかけを作ったのがTICADだった。

 2000年以降、中国の急速な経済発展に伴い、豊富な地下資源を抱えるアフリカの経済は上向きになり、2000-2010年の年平均GDP成長率は5.4%、中には20%を超える国まで現れた。これまで「絶望の大陸」と呼んでいたエコノミスト誌も「アフリカの未来は希望に満ち溢れている」と伝え、マッキンゼー・グローバル・インスティテュートはアフリカの経済を「動き出したライオン」と呼ぶようになった。

 今回のTICADでは、官邸の強いイニシアティブで、日本側からは経団連会長以下、民間企業のトップや幹部が参加した。

 1985年、私は難民支援のために訪れたソマリアで豊田通商の駐在員に会い、こんな場所にも日本の民間企業が来ているのかと驚いたことがあるが、2000年以降に私がアフリカで出会ったアジア人はほとんどが中国人。それも、内戦後のシエラレオネ、エボラ熱が流行するガボンなど、政情、治安、住環境が劣悪な場所でもその存在は大きく驚かされた。さらに、韓国人、インド人にもアフリカの様々な国で会うようになった。彼らの中には「アフリカは今バブルだ。危険は伴うが、濡れ手に粟のように金が舞い込む」と興奮しながら話す者もいた。

 一方、日本の商社の駐在員などと話をすると「リスクが多いので、アフリカでの事業は安全な場所で慎重にやってます」との答えが返ってくることが多かった。

 この違いが母国の経済成長の勢いの違いにもつながっているのだろうか、と正直感じることも多かった。