任せる、つなげる、位置づける

紀谷:そして2回目がスリランカのコロンボ。私は参事官としてワシントンから在バングラデシュ大使館に移っていて、津波の支援でコロンボに行ったときですね。

國井:私は外務省の仕事を終えて長崎大学に移った時です。スマトラ沖地震の後のインド洋津波で感染症が爆発的に流行するという噂が世界に広がって……。その調査と対策で私もコロンボに何度も足を運びました。あれはまた、運命の再会でしたね(笑)。当時、紀谷さんはバングラデシュで何を担当されていたんでしたっけ。

紀谷:経済協力班長として、バングラデシュ現地ODAタスクフォースの調整役を務めていました。外務省、JICA、JBIC、JETRO、さらにはNGO、協力隊、そこに一般企業も含め、バングラデシュ政府や他の援助国、国際機関との調整も必要だったんです。

國井:そのバングラデシュから津波災害支援の助っ人としてスリランカに派遣されていたんですね。

紀谷:バングラデシュって開発援助の見本市というか。典型的な貧困国に、世界最大のNGOであるBRACがあり、グラミン銀行があり。開発問題に関して、最も先進的な取り組みを競って試すみたいな局面にあって、そういう中で日本が何を示せるのか、どう成果を出せるのかというのが問われていました。

國井:バングラデシュ政府のガバナンスが利いていないし、アクター(支援に関わる人や組織)もそんなに多くない、またはいても連携・協力ができていないので、私の経験では支援がとても難しい国でした。

 そこで私はまた、紀谷さんのまとめる力に驚かされましたよ。単に関係組織を集めました、じゃないんですよね。紀谷さんの場合は援助に関わっている日本人を集めて勉強会などをしながら、その中で役割や比較優位性をマッピングして、これらをどのようにつなげてまとめるか、「オールジャパン」として相乗効果をつけられるのか、を考えてコンセプトとしてまとめていた。まさにオタワで見せていたまとめ力、整理力が途上国の現場でも発揮されていたんですね。

紀谷:バングラデシュ支援に関してはいわゆる「バングラデシュモデル」というものがありました。一言で言うと、日本の関係者は組織ごとに縦割りで、ツールごとに役割分担をしていた。例えば、外務省は政策プラス国際機関との対応と草の根無償資金協力。JICAは技術協力。JBICは円借款。JETROは企業の支援といった具合です。

 しかし、課題というのは、様々な要素が絡んだ「分野」なんですよね。保健もそうだし、農業、教育、電力、環境に関して、縦割りの役割分担だけで対処するのは難しい。それぞれの組織が、みんなで同じボールを追っ掛けていると、効率が悪いし、人も足りない。

國井:まさに、そうですね。

紀谷:各分野に専門家がいて、それぞれがしっかり連携して動ければいいのですが、日本の場合、ばらつきがあってなかなかうまく機能しない。「国=大使館で全部仕切る」というのが建前ですが、大使館がすべてを把握しているわけではないので、それじゃうまくいかない。そこで、現場がわかっている人に実質的なリーダーになってもらって、現地で組織を越えて制御する仕組みにしました。

 ただ、現地と本省、本部との関係では、各組織のツールがそれぞれアカウンタブルじゃなきゃいけない。現地で作ったものについて、最後に東京で了承を取るときは、それぞれの組織の中でやりましょう、と。それにはリソースと情報を組織間でプールして、共有しておく必要があり、そうした仕組みを整えました。

國井:理屈や建前ではなく、現場の実利優先で。

紀谷:国別開発協力方針においては、事業展開計画というローリングプランが肝になります。要するに、各分野でみんなが持っているツールをどうやって位置付けるかというのを一覧できるようにまとめるものです。

 今、外務省のウェブサイトにこれが全部載っているんですが、それを見ると、複数の組織のものが同じフォーマットで整理されている。その元になったのが、バングラデシュにいた時に、外務本省の現地機能強化班が中心になって整えた仕組み図です。当時、バングラデシュからも問題提起しましたが、本省の関係者が意気に感じてとりまとめ、全世界に指示を出してくれたからこそ実現したものです。

國井:やっぱり紀谷さんの調整能力はすごいな。理想は、「援助が効率よく効果的に進むように、皆さんでしっかり連携・協力し合いましょう」「重複のないように、ギャップがあったらそこを埋めましょう」ですけどね。みんな理屈では分かっているんだけど、それを実際に調整できる人がいないんです。この援助の世界も、最終的にはやはり人、ですね。

 さてその後、ベルギーのブリュッセルであった頃は何を担当されていたのでしょうか。

紀谷:安全保障ですね。主な課題は日本とNATOの協力です。具体的には防衛省とNATOの協力をどう進めるか。そのときの私は、一歩引いた形で関わりました。安全保障ってなかなか平場で、こういうことが大事ですということを議論できない話が多いので。

國井:そうでしょうね。

紀谷:日米同盟がありますから、日本と欧州の関係はおのずと米国を含めた三角関係になります。当時ウクライナ問題があって、ウクライナ、クリミアにロシアが仕掛けたときにどうするか。一方で、中国と南シナ海、東シナ海の問題が生じている。お互いにそれぞれがどうやって関心を持つのか。どちらも法の支配の問題があるので、共通の関心、お互いに対してお互いのメッセージを伝え合うというのが大事ですよねという、そんな話をやっていました。保健関連とはだいぶ違うけれども、経験の幅は広がったかなと。

國井:国家間のシビアなせめぎ合いの調整ですね。ブリュッセルで再会した時は、美味しいベルギービールをご一緒しました。当時、私はアフリカからスイスに移ったときで、私が仕事の話をしたら、飲みながらしっかりとメモを取ってましたね(笑)。本当に勉強熱心。こうやってどんどん吸収して自分のものにしていって、整理力、まとめ力、調整能力を高めていくんだなと感心しました。

 その後、南スーダンに赴任したんですよね。おそらく大使になるのは同期の中ではかなり若い。

紀谷:同期では2人目でした。

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