110カ国以上で緊急援助、開発事業などに関わり、現在、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略・投資・効果局長を務める國井修さん。生涯のテーマに掲げる「No one left behind(誰も置き去りにしない)」を実現するために、何が必要なのか。時折日本に一時帰国した時に“逢いたい人”との対談を通して探っていく。第6回のゲストは日本医師会会長の横倉義武さんです。

日本医師会会長
横倉義武(よこくら・よしたけ)さん

福岡市生まれ。1969年久留米大学医学部を卒業後、同大学医学部第2外科入局、77年から79年にかけてドイツ、デトモルト病院の外科に勤務、その後久留米大学医学部講師などを経て、97年から医療法人弘恵会ヨコクラ病院理事長。2002年福岡県医師会副会長、06年同会長、10年日本医師会副会長を経て2012年4月から現職。2017年10月から1年間、世界医師会会長を務めた(写真:鈴木愛子、以下同)

國井:対談シリーズ第6回のゲストは日本医師会会長の横倉義武さんです。世界医師会会長を先日退任されました。広い視点から日本と世界の医療をどう御覧になっているのか、伺っていきます。

横倉:よろしくお願いします。

國井:横倉さんは、地域の医療に高い関心をお持ちです。私も栃木県の栗山村という日光の奥にある山村で働いた経験があり、日本の中でもへき地の問題は重要だと感じています。また実は東京など都会の真ん中でも医療・保健が行き届かずに孤立した方々がいるんですよね。今日はそんな話もお聞きしていきます。まず最初に、横倉さんの原点をお聞かせいただけますか。

横倉:私、育ったのが福岡県の南部なんです。三池炭鉱がある大牟田市の少し北側にある農村部。1944年8月に福岡で生まれたのですが、1945年の初めから市内が爆撃を受け出しまして。母方の両親がその村の出身だったので、生後4カ月か5カ月でそこに疎開するようになったわけですね。

 まったく自分には記憶がないんですが、命拾いをした経験もあります。疎開時にも福岡との間を行ったり来たりしていたのですが、乗っていた西鉄電車が戦闘機グラマンの銃撃を受けて止まり、間一髪、私は助かったというエピソードを母からずっと聞かされましてね。

國井:本当に幼いころですね。

横倉:1歳になる前です。銃撃された電車から田んぼに降りるときに手伝ってくれたのが、九州大学歯学部の学生さんでね。その方がまた大牟田の方で、大きくなってから診てもらうことになった歯医者さんだった。人のご縁というか、見ず知らずの人に助けられて生きているんだという思いは今でもありますね。

國井:その後はどのようなお子さんに成長されたのですか。

横倉:子どものころは割りと悪僧坊主でしたよ。うちの父は海軍の軍医で呉にいたんですが、出兵する直前に身体検査で肋膜炎の疑いで降ろされて。実際、いわゆる胸膜炎を起こして水がたまったりしていたんですけれども。それがなければ当然、私は生まれてないです。昭和17年の終わりか18年ぐらいですかね。

 療養後もそのまま陸上勤務で終わったわけですが、その村が医師が不足している場所だったんですね。父が終戦後に福岡の家に戻ろうとしたところ、3年間でいいからその村に残ってくれと言われて。村の中で開業して3年間が過ぎてまた福岡に帰ろうとしたら、村議会で「残ってくれ」と決議をされて残ったりして。

國井:分かります。私も村を離れるとき、若造で何もできないへぼ医者でしたけど、もっといてくれと言ってくださる村人は結構いました。お父様が夜中も呼ばれたりとか、そういう記憶は小さい頃からあったんですね。

横倉:ありますね。往診に行った帰り、真っ暗な中で川に落ちたりというような話もありました。同時にそういう地域医療の大事さというのも、しっかりと見ておりました。

國井:じゃあ、医者になろうというのは、小さい頃からですか。

横倉:医者になろうと思ったのは高校3年生の夏休みですね。

國井:かなり遅いですね(笑)。

横倉:ちょうど夏休みに盲腸炎、虫垂炎を起こしたんですよ。叔父が外科医で手術してもらって。腹痛でのたうち回っていたのが、手術ですっとよくなったので、人を助けるような仕事をできればな、ということで、実質4カ月か5カ月だけ勉強して受験しました。

求められる対話型のリーダーシップ

國井:私も日本で医師会に所属していたことがありますが、医師会でリーダーシップをとられるのは相当大変なことだと思います。

横倉:若い頃は町の医者だけの会があって毎月1回、集まっていました。その中でご指導を先輩たちに受けましてね。一番若いときですから、行政との交渉をやりなさいということで担当すると、先輩には「そんな甘いことではいかん」と怒られたりするわけです。医師会組織の一番小さな単位で、対外折衝の要諦やどうあるべきかという姿勢も含めて学びました。

國井:これまで国内外で様々なリーダーシップを身近で見てきました。昔は一般の人たちに十分な知識も力もなかったので、権力のある医師会や政治がトップダウンで物事を動かせる時代があったと思います。ですからリーダーも、カリスマ的で力で押していくようなタイプが多かった。

 ところが今は海外でも国内でも一般人の健康や医療に対する知識が深まり、患者組織や市民団体、いろいろな組織が作られ、政府や政治家への抗議やロビーイングなども積極的に行うようになってきた。そうなるともう一方的に進めるやり方は通用しない。むしろ患者を含めて様々な組織・団体と向き合い、対話しながら決断していくという、先生のような温和なタイプがリーダーとして必要になっているのではと思います。

 特に福岡の医療で特徴的なことがありましたら教えてください。

横倉:福岡は1人当たり医療費が一番高いんですよ。昔から割と高かったので、県知事からは何とか全国一だけは避けてほしい……と言われていました。

國井:不名誉な1位ですもんね(笑)。

横倉:今もなかなか下がりませんが、それには理由がいくつかあります。福岡では石炭産業が盛んだったのですが、旧産炭地は病院、病床数が非常に多いという特徴があって、どうしても入院医療費が高くなる。また昔の産炭地は閉鎖性の高い地域が多くて精神疾患が多かった。その精神科が現在に残っているということがありますね。それともう一つは人口500万人に四つの大学病院があるんです。

國井:それ、大きいですよね。

横倉:歯科大学を入れると、実はあと二つあるんです。

國井:一つの県で、ですか?

横倉:だから六つの大学病院があるんですよ。どうしても医療費は平均より高くなりますね。

國井:そうですか。以前のOECD(経済協力開発機構)の統計を見ると、日本は長寿でありながら、医療費が他の先進国に比べて安い、つまりパフォーマンスがいいなどと言われてましたが、最近、統計の基準が変わったこともあって、必ずしも医療費が低いとはみられていませんよね。

横倉:介護保険の部分が入って、介護が慢性医療になった。

國井:2014年の日本の対GDP保健医療支出はOECD加盟国中8位でしたが、2015年には3位になった。

横倉:また少し下がって、今は6位です。