さらに、健康指標、労働賃金や小中学校の就学率でも男女格差がほとんど見られない状態になっている。
もちろん、ルワンダでも、女性への社会的な差別や雇用・昇進などでの差別が完全になくなったわけではない。しかし、伝統的に男女格差が激しく、女性の社会的活躍など考えられなかったアフリカでも、国家的努力によってこんなにも変わることを示すロールモデル、希望ともなっている。
日本の男女格差が狭まらない理由
では、なぜアフリカと比較しても、日本の男女格差がなかなか狭まらないのだろうか?
これについては、2018年の「国際女性デー」特別対談 大崎麻子さん×長野智子「ハフポスト日本版」編集主幹の「なぜ日本のジェンダーギャップ指数はこんなに低いのか。“男女平等”の社会は男性も生きやすい?」の記事が面白い。
この中で、「男がやるべきとされる労働はお金が入り、女がやるべきとされる労働は無報酬」―これが男女の不平等の根源的な問題の一つ、と指摘し、男性のジェンダー規範、つまり、「男は稼いで家族を養って一人前」「弱音を吐いたり助けを求めたりするのは男らしくない」という規範が男性を縛っているとも語っている。
「政治は男の仕事」というカルチャー、政治家は24時間オンコールのようなもので育児との両立は難しい、それでも頑張ると「子どもはどうした?」と言われる。そんな日本の環境下では女性の政治家は増えず、議員の中の女性の割合がクリティカルマスともいうべき3割に満たない現状では、女性の声は政治に十分に反映されないとも言っている。
これらすべてに納得できる。特に、議員や官民の高位職での女性の占める割合がクリティカルマスと呼べる3割に達していなければ、女性が住みやすい、また働きやすい社会や組織への変革の力は生まれにくいと思う。
労働時間の長さがハードルに
他にも様々な理由があるだろうが、私が欧米に比べて日本の男女格差が狭まらない理由のひとつとして特に付け加えたいものが「労働時間の長さ」である。
以前に比べると、日本人の平均労働時間はかなり短く、休暇もとれるようになり、会社・組織によっては残業を禁止、またしないよう厳しく監視しているところもあると聞く。
その一方で、今でもなかなか定刻に帰れず、長時間労働が規範として暗黙に求められている職場も少なくないようである。
特に霞が関で働く友人によると、定刻に強制的に消灯されても、その後、また点灯させて仕事をやらなければ仕事は終わらない、特に国会対応はまさに夜が勝負、なのだそうである。
このような状況は、働きながら家庭や子どもをもつ女性にとっては就業継続が困難である。また、育児休暇や残業の回避などが実質上、女性の昇進の機会を狭める原因にもなるともいわれる。また、家事や育児に参加したいと思っている男性にも、それを困難にさせる。
私も日本で働いていた時には、帰宅するのは夜半過ぎ、時に土日や祝日も勤務し、それでいながら代休なしというのを「普通」に感じていた。病院や診療所で働いていた時は、それが医者の務めで「当然」と思っていたし、大学や霞が関でもそれに違和感を感じないばかりか、「美徳」とも感じていた。
しかし、海外で、世界の様々な人々と働くようになって、それは「普通」でも「当然」でも、ましてや「美徳」でもないことにやっと気づくようになる。
それはむしろ「異常」で、仕事は「量」より「質」、仕事は勤務時間内に終わらせるのが「当然」で、それができないのは本人の効率や能力、パフォーマンスの問題か、管理者のタスクの割り当てなど管理側の問題にもなる。
上司が部下に行う勤務評価や部下が上司に行う360度評価の際に、長時間労働はマイナス評価につながり、その改善に向けて本人も管理者も努力をしなければならないのである。
海外といっても国により、また地域によって異なるが、私が訪れたほとんどの国では、仕事とプライベートライフの「ワークライフ・バランス」がとても重要で、仕事のためにプライベートライフを犠牲にすることは滅多にあってはならないことなのである。
さらに、日本の特徴は「勤務時間」以外にも「付き合い」が多いこと。これが直接的・間接的に男女格差につながっているのではないか、という人もいる。
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