國井:インドに留学している時にヨガと出会って、今でもずっと続けているんですけど、『粉雪』の出だしってすごく静かに、こう息遣いを感じるような…自分の内的世界と向き合うヨガ的なものを感じるんです。それが、サビの部分で一気に内なるエネルギーが外に向かって爆発していく。ここはね、とてもブラジル的。ブラジルにも住んでいたことがあって、その時に感じたラテンのパワーというものは、すごいものでね。

藤巻:ラテン系と言うと、パッと明るいイメージですけど…。

國井:確かにリオのカーニバルとか、明るく華やかなイメージがあるけど、サンバは元々、奴隷として海を越えて連れてこられた人たちが遠くアフリカからもってきたもので。アフリカで音楽を聴いてダンスを見ていると、それを納得しますよ。奴隷制が廃止された後に、ブラジルの黒人たちがリオに集まって作られた音楽とダンス。様々な感情も凝縮されて、あの爆発的なエネルギーになっている。先ほどの藤巻さんの、葛藤の末の…という話を聞いていて、ああ、そうだったのか、と。

藤巻:そんなふうにあの曲を評価いただいたのは初めてです(笑)。

 先生はヨガを続けていらっしゃるということで。ヨガはこう、呼吸を大事にしますよね。

國井:はい。

愛するということ

藤巻:僕も歌うようになってから、呼吸にすごく興味があって。まずすごくいいなと思うのが、呼吸ってまず「吐いて」、そして「吸う」ですよね。

國井:はい。

藤巻:吸うことからじゃなくて、吐くことから始める。これって物事に全部通じるような気がしているんですよね。
 僕はエーリヒ・フロムが好きで、『愛するということ』という本がすごく好きで。ここには、愛するって難しいということが書かれているんですが、そこで大事なのは、まず与えることだ、と。

國井:テイクではなく、ギブから始める。

藤巻:そうなんです。そうして与えるということをしていくと、どこか違うところからまた自分に返ってくるということを説いているんですけど、そういうことと呼吸というのも何かつながってくるなと思っているんです。

國井:面白い視点だなぁ。
 ヨガというと、こうゆっくり呼吸しながら体を動かして、様々なポーズを取ることのように思われているけれど、そもそもはヨークといって、2つのものをつなげるという意味なんです。体を動かすアーサナはいわば準備運動で、そうして体を解放して、プラナヤマ、調息をして、最後にディヤーナ、瞑想をして、内なる世界と外の世界…自分の個または我というものと、宇宙また普遍とをつなげて、やがて一体化していく。

藤巻:はい。

國井:インドでヨガの修行を始めた時、目をつぶって呼吸に集中しながら何も考えないように、と思うんですが、逆にたった数分間でも、自分の意思とは裏腹に、いろんなことが頭によぎってしまう。考えてしまう。

藤巻:考えちゃいますよね。

國井:考えないようにしようと思えばするほど、あれこれと…。

藤巻:増幅していく…。

國井:人間の意識というのはいわゆる暴れ馬のよう、また統制のつかない猿の集団のようだといいます。フロイトにいわせると、人間の意識をはるかに凌ぐ無意識、その奥深くにあるイドがそうするようですが。手綱を引いても容易に統制などできない。ヨガはそういう意識を手なずけて、無意識、または意識下のレベルにずっと深く入り込んでいく方法を教えるもので、ヨガは宗教ではなくサイエンスだという人もいます。

藤巻:自分の意識を手なずけていく。

國井:初めから何も考えるなというのは難しいから、いろんな方法があるんだけど、僕の場合は直径2センチほどの点を書いた紙を壁に貼って、それに意識を集中させていく訓練をしました。何度も続けていると、やがてすぐに意識が集中できるようになるんだけど、ある時、その点が次第に大きく膨らんでいって、ふうっと消えてしまう。そのあとからは点を見る必要はなくなって、意識でなく無意識、意識下の世界にぐいぐい入り込んでいくって感じ。
 修行を始めてから6か月くらい経ったころかな、瞑想中に自分の体がどんどん膨らんでいって、自分の身体から抜け出ていくのを感じた。宙に浮いていって、さらに膨張していって、宇宙につながっていく感覚。頭はとても覚醒していて、その幸福感というか至福感がこの世のものとは思えない。このままずっと瞑想をして、現実の世界に戻りたくないって感じるほど。それからは、現実の世界の中でも自分をいつでも客観視して、外から見られるようになりましたね。

藤巻:自分という枠を超える…。

國井:そうです。国際協力で危険な地域に行ったりしていると、自分を犠牲にして大変ですね、とか言われるんだけど、犠牲という意識は全くないんです。自分への愛情とか欲って、例えばいい車や素敵な服を買っても、いっとき満足はするんだろうけれど、次にまた欲しくなったりして、際限がなく、また虚しいもの。
 でも、目の前に死にそうな子どもがいたとして、それを自分が救えたとしたら、その満足感は何千万円の高級車を手に入れるよりずっと大きい。
 形としては治療というギブをしていても、とてつもないものをテイクしている。治療してあげているなんて意識はなくて、治療させてもらっているという感じ。自分のためという枠を超えて、世界とつながって、その中で自分にできることをやってみる。そこで得られるものって自分のためにやって得られるものとは全く違う次元のもの、僕にとってはかけがえのないものでね。こんな仕事をさせてもらって、自分はなんて幸せなんだろうって思います。

藤巻:今のお話で、自分が日頃、感じていたことが、なんだか明確に見えてきたような気がします。
 僕は、世の中には線を引いて区切っていく人と、線を消す人がいると思っていて。

國井:引く人と、消す人。