ハレーションが起きても、あきらめない

國井:そうやって、いろいろと自分から飛び込んでいくことで、周囲との壁が取り払われていくということもあるんじゃないかな。
 幼い頃、乙武さんが動くと、クラスメイトが興味を持ってついてきて、珍しがってぷにゅぷにゅと触ってきて。最初はザワザワするけれど、そのうちだんだん落ち着いてきて、それが日常のこととして受け入れられていって…。そういうことが、すべての差別問題を解決していくのに有効なカギなんじゃないかな。

乙武:僕は障がい者として生きてきた中で感じるのは、バリアフリーということにおいて一番、壁になっているのは、差別や偏見ではなくて、慣れていないということだと思っているんですね。
 そこで大事なことが1つあって、「共生社会」を目指していこうと思うと、必ず大なり小なりハレーションって起こると思うんですよ。
 違いのある者同士がファーストコンタクトで、すぐにすっと分かり合えて共存できるのか。これはやっぱり厳しいと思うんですね。最初はお互い傷ついたりすることもあるだろうし、腹の立つこともあるだろうし、それが戸惑いなんかでは済まないぐらい感情が揺さぶられることもあるだろうし。

國井:うん。そこで互いに遠慮していたら、結局、分かり合えないことになるしね。

乙武:はい。そこで大事なのは、ハレーションが起きたからやめよう、とならないことだと思うんですよ。
 例えば、メディアでも教育界でも、クレームが来るとすぐに取り止め、ということが増えているように思うのですが、じゃあ、その番組を放送しようとした情熱、その行事の教育的効果を信じて始めた時の確たる思いって一体、何だったのということになる。もちろん、再検討した結果、改善したり、取りやめたりすることがあってもいいと思いますが、もう少し「多少の軋轢を生んでも、俺はこれをやりたい」という思いが伝わってきてもいいと思うんですよね。
 共生社会を実現するには、最初に起こるであろう多少の軋轢は覚悟しておかなければならないと思うし、それを避けていてはきっとたどり着けないものだと思うんですよね。

國井:だからこそ、僕は乙武さんのような存在がメディアなどにどんどん出ていって、多くの人たちに様々なメッセージを伝えていってくれることは重要だと思う。シンボル的な役割というのは何かと大変だと思うんだけれども。
 それに関して言うと、先立っては、いわゆる不倫騒動が話題になって…。

乙武:不徳の致すところで、お騒がせしました。

國井:僕は海外にいて、日本のメディアでのバッシングがどのようなものだったか詳しくは分からないのだけど、そうした経験を経て、乙武さんの中で変化はありましたか?

乙武:楽になった部分としんどくなった部分があるというのが正直なところです。今まではまじめな人というイメージが先行していて、これまでもくだらないことを言ったり実際だらしない一面というのを、自分としては積極的に開示してきたつもりなんですけれども、そこはほとんどスルーされてきて。その辺に窮屈さを感じていた部分もあったので、今回こうしていかにだらしない男であるかという部分が皆さんに知られたことは、ある意味では楽になったのかもしれません。他方で、これまでの社会的な課題に対する自分自身の考えについては偽りがあったわけではなく、そういったことを真剣に考えて取り組んできたし、これからも取り組んでいきたいと思っているのですが、「もうお前の話は一切、説得力がない」と言われてしまっている状況なので、さてどうしたものかなと。

國井:うん。乙武さんのこれまでの取り組みがすべて否定されるというのは、おかしな話だよね。

乙武:ここからが真価を問われるのだろうと思います。人生の後半戦、何をやっていくのか。そこを見られていくでしょうし、それによって再評価してくださる方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれない。本当にここから何をしてくのかが大事だと思っています。

國井:率直に話してくれてありがとう。これからの取り組み、期待しています。

乙武:ありがとうございます。