國井:対談シリーズ第2回のゲストは乙武洋匡さんです。よろしくお願いします。
乙武:こちらこそ、よろしくお願いします。楽しみにしていました。

國井:乙武さんとは障がい者支援のあり方などについてこれまでも意見を交わす機会があって、普段は乙君と呼んでいるけれど、今回は乙武さんで(笑)。
乙武:承知しました(笑)。
國井:前回は聴覚に障がいのある息子さんを育てながら参議院議員として頑張っている今井絵理子さんと話をしました。息子さんがどんどん大人びていくことに切なさと頼もしさを感じながら、その姿をやさしく見守っている様子でね。
その時、思い出したのが、乙武さんのお母さんのこと。乙武さんの著書『五体不満足』で僕が感動したのは、乙武さんのことを見た時に「かわいい」と言って懸命に育てて、いつも変わらずサポートし続ける姿でした。
自己肯定感を、いかに育むか
乙武:これは障がいのある人だけではないかもしれませんが、生きていく上で一番しんどいのは、自己肯定感を持てないということだと思うんですよね。
まず、私に関して言うと「障がいは個性だと語る乙武さん」って表現されることが多いんですけど、実は一度もそう語ったことはなくて。
國井:え、そうなの?
乙武:はい。日本人が「個性」と口にする時はプラスのイメージで語ることが多いと思うんですが、じゃあ、障がいってプラスなことかというと、それはやっぱり不便だし、ない方がいいに越したことはないと思うんです。
國井:ふむ。
乙武:だから、不便は不便だよねというところは認めた上で、それでも前向きに生きていくにはどうしたらいいんだろうと考えるわけですが、そういう時に、自己肯定感というものがすごく必要になってくると思うんです。
國井:なるほど。
乙武:自己肯定感を養うにはいろいろな手段、アプローチがあると思うんですが、一番大事なのはやっぱり誰かから愛されること、特に親から認められていることが大切だと思うんですね。
障がい者が自己肯定感を育むのに苦労してしまうのは、たぶんそこだと思うんですよ。ほとんどの親は、我が子が障がい者であることをマイナスに考えます。すると、子どもは自分が生まれたことで親を苦しめているんだとか、親がこんなに嘆いているということは自分の境遇はもう絶望的なものなんだって、子どもだからこそ敏感に感じ取りますし、そういう子どもが自己肯定感を育むことができるかとなると…。
國井:相当きついだろうね…。
乙武:それが幸い私の場合は、これだけ重度の障がいで生まれながら、父も母も私の存在をとても肯定的にとらえてくれた。そのことが私自身の自己肯定感につながったと思うので、本当に感謝しているんです。
國井:自己肯定感。それは障がい者だけじゃなく、人間が生きていくうえで大事なことですね。
乙武:両親は私が生まれた時に、一生寝たきりだと覚悟したらしいんですね。ところが、まず寝返りを打った、起き上がった、自分で歩いた、字を書いた、自分で食べられるようになった…。何をしてもベースが寝たきりにあるので、すべてプラス評価になったというんですね。ああ、こんなことができてよかった、ああ、これもできるようになった。そうやってプラスの積み重ねとしてとらえていたから、褒めたり喜んだりという“足し算”の子育てになったんじゃないかなと思います。
できなくてもいいんです。まず、やってみる
國井:なるほど。で、そんな中で育った乙武少年は、いろんなことにがんがん挑戦するじゃない? 例えば、バスケットボール。何でバスケ? 健常者同士だって明らかに背の高い人が有利で、僕だって嫌だよ、体がちっちゃいから(笑)。
乙武:私の場合、何か物事に取り組む時の判断基準が、できそうかできなさそうかの前に、やりたいかやりたくないかが来ちゃうんです。だから「やりたい」って最初にスイッチが入っちゃったら、それができそうかできなさそうかと考える前に、まずやってみる。やってみてだめだったら、そこでやめるのか、違う方法でまた試してみるのか、その時に考えればいい話で。たぶんやってみるというところに面白さを感じる人間なんでしょうね。

國井:若い人たちから将来についての相談を受けることがよくあるんだけど、こうした方がいいよ、なんて軽々しくは言えない。僕が確実に言えるのは、自分が好きなことを選んでやった方がいいよ。それが好きかどうか分からないというなら、まずやってみて、苦しいと思わなかったら、楽しい、面白いと思えるんだったら、それがおそらく自分の好きなものだよ、と言うんだけど、乙武さんは小さいころからそれを実践しているんだね。
乙武:私は虚栄心と向上心って紙一重だなと思うんですね。うちは亡くなった父親が見えっ張りで、結構それを受け継いでいるんですよ(笑)。だから、人からよく見られたいみたいな気持ちも正直あります。でも、自分の場合、それがすごく向上心に結び付いているなというのも感じていて。
何かこう、できることしかやらなかったら、自分が向上しないじゃないですか。やったことがなくて、やってみたいなと思う。だけど、それはできないかもしれない。それでやめてしまえばそれまでだし、もしもうまくいけば自信になるし。まあ、結果としてできなくてもいいんですよ。そこに向かって取り組むことで自分の中での経験値がたまったり、新たな気づきを得られたりするので、そうやって自分を成長させていくのが割と好きなんですよね。
國井:リスクヘッジばっかり上手くなるというのは、寂しい話だしね。
乙武:この身体で生きていると、ちっちゃい頃から人より褒められる回数って多かったんですよ。先ほどもお話ししたように、歩くとか食べるとか字を書くというと、それだけですごいね、よくそんなことができるねって褒められて。でも、なぜみんなもやっていることで自分だけが褒められるかといえば、「あなたは手足がないから何もできないでしょう」という前提があるからで。これは褒められていながら、どこか上から見られているのかなという感じがして、結構複雑な部分もあったんです。
でもせっかく褒めてはいただいているので、もうちょっと自分自身が素直に受け入れられるようになったらいいな。そのためにはどうしたらいいんだろうと考えた時に、ああ、そうか、みんなと同じだから自分だけが褒められて、モヤモヤしているんだなと。
國井:同じだからモヤモヤする…。
乙武:ならば、みんなよりも秀でてしまえば素直にその褒め言葉を受け入れられるようになるんじゃないのかなと思って、だったらクラスで一番勉強ができるようになりたいとか、クラスで一番きれいな字を書けるようになりたいとか、そういう向上心につながって、いろいろやってみようというモチベーションにつながっていた気がしますね。
國井:生来のチャレンジ好きなんだなぁ。

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