兵庫県・西宮体育館で医療チームの調整役となった筆者(阪神・淡路大震災時)

 私自身、これら二つの大震災で発災直後から現地支援にあたったが、私の正直な印象として、東日本大震災では阪神淡路大震災どころか、途上国の災害支援と比較しても「こんな対応でいいの?」と首を傾げることが多かったのである。日本には資源(ヒト・カネ・モノ)があるのに、どうしてこの程度の緊急支援に留まってしまうのだろう。そんな驚きであり、悔しさでもあった。

「ソマリア以下」だった東日本の支援

 東日本大震災の発生時、私はソマリアで保健・栄養・水衛生支援事業を統括していた。内戦・紛争が20年以上も続くその国では、干ばつや飢饉、コレラなどの疫病も流行し、多くの人々が死亡し、難民や避難民が発生していた。

 人道支援のために設営する避難施設はできるだけ安全な地域に設置するのが基本である。最低でも1人当たりの居住空間は3.5平方メートル(たたみ約2畳分)、食料は2100kcalを提供する。食糧配給が不十分な場合には、特に妊産婦や子供にはタンパク、ビタミン、ミネラルなどが豊富な補助栄養を提供し、ビタミンAや鉄剤などの微量栄養素も与える。栄養スクリーニング、乳幼児検診、産前検診をキャンプ内で日常的に実施し、予防接種やマラリア予防の蚊帳など現地で流行しうる感染症への予防対策も行う。

ソマリア難民用のシェルター

 緊急事態であっても、いやそのような状況だからこそ、人々が享受すべき支援には明確な最低基準を設ける必要がある。そうでなければ、「ここは途上国だから…」と妥協したり甘えたりして、必須サービスが行き渡らなくなるからだ。援助する団体によってサービスの質にもばらつきが出てしまう。共通の道標があることで、国連機関もNGOもそれに向かって努力する。

 社会インフラも治安も世界最悪といわれていたソマリアである。そう簡単にサービスを届けられない場所も実際にはある。しかし、そんな劣悪な状況下でも、これらの最低基準を超えることも不可能ではなかったのだ。

 だからこそ、東日本大震災の現場を見て驚いたのである。発災後1か月を経っても、津波で車や家が流され破壊され、時には墓石が散乱しているような、凄惨な光景が周りに広がる学校の体育館や校舎で人々が避難生活をしている。体育館の床の上に毛布を敷いてそのまま寝ている空間は、1人当たり1畳程度。仕切りもなくプライバシーもない。寝ている横を人々が土足で歩く。土埃が舞って寝ている人がそれを吸引する。津波は化学工場や石油タンクなども破壊していた。有害化学物質などを含む汚染された土壌がその土埃に含まれている可能性もあった。

 1階が津波で被害を受けているため、学校校舎の2階や3階で高齢者が生活していることもあった。校庭にある仮設トイレまでは、体の不自由な高齢者にとっては遠い道のりである。そのため廊下で用を足し、その臭いが周辺に充満する避難所もあった。

 発災後1か月も経っているのに食事は一日2食、それもおにぎりや菓子パンばかり。宮城県内の避難所241か所で実施した栄養調査の結果では、避難者のエネルギー摂取は1600kcalにも満たず、ビタミンやタンパク摂取も目標値の5割から8割程度。半砂漠の悪路をトラックで数日もかかるソマリアの避難民キャンプならわかるが、それは日本の話。それも避難所から車で10分も行けば、コンビニやレストランも開いていた時期である。

 そんな状況を見て思わず、「ここはソマリア以下」と私は口走ってしまった。十分に支援できる資源があるのに、迅速に適切にそれらを提供できないのはおかしい。

避難所近くの様子(東日本大震災時)