3つめの性の切り口は「性的指向」、平たく言うと「好きになる性」にかかわるものだ。
前述したが、これは「性的嗜好(sexual preference)」とは違う。嗜好は後天的に得られた好み、趣味だが、「性的指向(sexual orientation)」は生まれながらにしてもっているもの、生来的に決まっている性質であり、個人が意思して変えることができるものではないとされる。
ちなみに、もうひとつ「志向」という日本語があるが、これも人間が意識して持つものというニュアンスがあり、性的少数者の「性的指向」とは異なるものである。
ただし、この「性的指向」にも様々なパターンがあるといわれる。好きになる人は絶対に異性でないとだめという人から、どちらかというと異性がいい、どちらかというと同性がいい、絶対に同性がいい、どちらでもいい、という人まで。先天性とは言っても、自分の好きな性を認識し始めるのが遅い人、途中からまたわからなくなる人もいるという。
以上の3つの性の切り口、「身体の性」「心の性」「好きになる性」のそれぞれに、いくつかのパターンがあると述べた。大きく、「女性」「男性」「両方またはどちらともいえない」の3つのパターンに分けると、3x3x3=27で、人の「性」には27通りのパターンがあるとも言える。しかし、実際にはそれぞれ3つのパターンだけでなく、それぞれがグラデーションのように分布しているといわれ、「性」の多様性は極めて大きいともいわれているのである。
このような性の多様性に関して、その表現にはポリティカル・コレクトネス(political correctness;PC)、すなわち政治的・社会的な公正さ・中立性が求められることがある。
特にアメリカでは敏感だ。誰かが差別や偏見、また排除と感じる言葉や用語があれば、それらを指さして矯正しようとの力が働く。
LGBTについては19世紀半ば頃からホモセクシャル(Homosexual)という言葉が使われてきたが、その用語に差別的な意味が染みついてきたため、L(Lesbianレズビアン)、G(Gayゲイ)、B(Bisexualバイセクシャル)、T(Transgenderトランスジェンダー、またはTranssexualトランスセクシャル)の総称としての「LGBT」が使用されはじめた。
しかし、これだけでは前述した「多様な性」が表現できていない、LGBTには属さないで排除されたと感じる人も出てきた。
LGBTにも属さない性
これに対して作られた用語が「LGBTQQIA」である。
LGBTの後に続くQQIAは次の通り。
まずはじめのQはQueer(クイア)で、「変な」「奇妙な」の意味である。以前、「あいつ奇妙だな」とLGBTの人々に軽蔑的に使われていた言葉が、次第に当事者たち自身が「別に自分たちQueerでいいんじゃない、かえって面白いんじゃない」と自ら積極的に用いるようになった。自分達をLGBTでなく敢えてQueerと呼ぶ人々には、「同性愛とか異性愛とか性行動で我々を分類して欲しくない。我々は普通とは違っていていい。個性的で素晴らしいんだ」との主張があるようである。
次のQはQuestioning(クエスチョニング)。自分の性自認や性的指向が多数派のストレート、いわゆる多数派とは違うと感じているが、自らをLGBTのいずれにも分類できないでいる状態である。LGBTだった人が、再び自分の性自認や性的指向に疑問を持つ場合もある。
IはIntersex(インターセックス)。これについては上述した通り。
そして最後のAはAlly(アライ)、同盟、盟友である。自らは多数派のストレート、異性愛者だが、LGBTの人々、その人権に理解を示し、その差別・偏見をなくすために一緒に戦ってくれる、時に代弁してくれる人々である。私自身も敢えて分類するならば、このアライに属するだろう。
しかし、これらの分類でも足りず、LGBTQQIAAPPO2Sという用語まで生み出された。
LGBTQQIAに続くAPPO2Sは以下の通り。
AはAsexual(エイセクシャル)、異性にも同性にも性的欲求や恋愛感情を感じない人のこと。
PはPansexual(パンセクシャル)、性別はどうでもよく、それを超越して人をその個性を愛する人のこと。「全性愛」「全人愛」と訳す人もいる。アガペー、いわゆるキリスト教における無限の愛、無償の愛とどう違うのか、相手からのリターンを全く期待しない、また相手を全く傷つけない愛なのか、そうでないのか、議論は十分にはし尽くされていないものではある。私自身もそのような人に出会ったことはない。
さらなるPはPolyamorous(ポリアモラス)、またはPolyamory(ポリアモリー)。ポリ(=多くの)+アモラス(=愛情に溢れた)で、複数の人を愛することのできる人のこと。「多性愛」と訳す人もいる。
多数の人を愛する人なら周りにたくさんいるとの声も聞こえるが、これは浮気や不倫とは違う。ポリアモリーのカップルはそれぞれに複数の「愛する人」がいても、その関係性を隠さず、むしろ大事な人だからこそ、包み隠さず全てを話して、オープンに誠実に愛し合っている人々のことだ。愛し合うカップルが互いを縛り付けず、それぞれが持つパートナーも紹介し合って、数人で同居したり、食事や旅行をしたりするケースもある。
そんなのあり得ないと思うだろうが、現実は小説よりも奇なり。世界にも日本にもポリアモリーは存在し、私の知人にもいる。アメリカには推定50万人以上のポリアモリーがいるといわれるが、様々な国の調査で「一夫一妻制でなくともよい」「一夫一妻制は不自然」「愛する人は複数でもよい」と考える回答者は2-3割もいるとの結果もあり、潜在的にポリアモリー指向の人は少なくないようである。
OはOmnisexual(オムニセクシュアル)。Pan-(ギリシャ語由来)もOmni―(ラテン語由来)も「全て」を意味する接頭辞で、和訳するとPansexualと同じく「全性愛」「全人愛」であるが、強いていえば、Omnisexualは性別による役割やニーズの違いなどを認めたり意識したりするのに比べ、Pansexualはそれらを認めない、または意識しないようである。これも十分に議論しつくされているわけではなく、私自身、実際にオムニセクシュアルとパンセクシャルの人々に会ったこともなければ、本当の違いを知っているわけではない。
最後の2SはTwo Spirit(トゥー・スピリット)の略で、北アメリカ先住民の間で古来より認められてきた第三の性である。自分の体に「女性の魂と男性の魂(Spirit)が2つ同時にある」と感じている人、身体は男性または女性でありながら、異性の性質・特徴を持つ人のことである。そのような人々は先住民社会でマイノリティとして差別されなかっただけでなく、むしろ尊敬され、信仰療法、伝説や歌の口承、予言、名付け親、結婚の仲介など、さまざまな社会的役割を担っていたようである。
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