「好き」が苦悩を飛び越えた

 講演で章男社長は、こう言っていた。

 「(公聴会に向けて)日本を出発する時、『これは私を辞めさせるゲームなのかな』と思った。社長になって1年も持たなかった。それを喜ぶ人もいるだろうな。でも、自分はどうなのか。トヨタのことをどう思っているのか」

 「社長をやるとかやらないとかいう前に、トヨタを考えた時に『大大大好きだ』と思った。会社なしに自分を語れないと。社長としての私はこれで終わるかもしれないが、終わったところでこんなに大好きなトヨタを生意気だけど守れるなら、初めてトヨタのお役に立てるのではないか」

 「これまで、やれ創業家だ、やれお坊っちゃまだ、世間知らずと言われてきたので、それまでの自分は『トヨタでは、やっかいものなのかな』という感覚もあった。(公聴会で矢面に立つことで、)やっかいものなりに最後にお役に立てるなら、自分にも役割があったんだ、かえって喜ばしい、とうれしかった」

57歳で亡くなった喜一郎氏の無念

 豊田章男として生きることには相当の苦労があったはずだ。でも、その苦労以上にトヨタが好きだったのだ。章男社長は、こうも言っていた。

 「私はおじいさん(喜一郎氏)に会ったことがない。57歳で亡くなったので、会ったことも話したこともない。でも、父から聞いた話では、(喜一郎氏はトヨタ自動車の)良いところを見ていなかった。苦労だけで終わっていた。きっと、57歳で亡くなったことに対して無念があったと思う」

 「(その後を引き継いだ人たちが)その無念さを超え、今のトヨタ自動車、トヨタグループをつくってくれたおかげで我々がある。将来の我々の笑顔のために苦労してくれたのだから、継承者の我々がその恩恵を受けるだけじゃなくて、次の世代のために会社を持続的に発展させなければならない」

 どんな経営者にも歴史がある。豊田章男という人は、有名過ぎるがゆえに、父や祖父が偉大過ぎるがゆえに、その素顔をあまり知られてこなかった。会見で記者がどうしても豊田章男という経営者を理解できなかったのは、彼自身の問題というよりも、記者自身の問題だったと気づいた。取材対象に入り込みすぎて客観性を失うのは論外だが、その人の歴史と苦悩を知って初めて、その人の言葉が示す本当の意味を理解することができる。

 EV(電気自動車)の社内ベンチャー発足やコネクティッド戦略など、ここのところ興味深い発表を立て続けに実施しているトヨタ。それらの「決断」の見方が、今後は少し変わるような気がしている。