スウェーデン第二の都市、イエーテボリ。乗用車大手ボルボ・カーの本社があるこの街で、面白い体験をした。ボルボの担当者がスマホを使ってEC(電子商取引)サイトから日用品を購入。そのままボルボ車に乗ってしばらく待っていると、配達員が我々の乗るクルマのトランクを勝手に開け、注文した荷物をそこに置いて何も言わずに立ち去ったのだ。
トランクに注文した荷物が届く「イン・カー・デリバリー」
これはボルボが今年5月に始めた配送サービス「イン・カー・デリバリー」。スウェーデンのベンチャー企業や北欧最大の物流会社ポストノードなどと共同開発し、注文した商品を対象区域ならどこでもクルマのトランクに届けるサービスだ。世界で初めてボルボがサービスを始めた。
もちろん、運転者が乗っていなくても配達員は勝手にトランクを開ける。物流会社にとっては再配達の手間が減り、注文した消費者にとってもすぐに受け取れるメリットがある。今年10月時点でボルボのユーザー1万人が同サービスに登録している。
他の自動車メーカーがサービス化にこぎつけられていない理由は簡単。鍵を持たない配達員がトランクを開けられないからだ。
「2017年にクルマの鍵を全廃する」
ボルボがこのサービスを投入できたのは、他社に先駆けて「デジタルキー」を採用したから。専用のアプリケーションが入ったスマホを鍵代わりに使い、車両のロック解除やエンジンの始動ができるほか、家族などとの共有機能もある。既に一部の車種で採用しており、配達員に1回限り有効のデジタルキーを発行することで、トランクを開けることができるようになった。
ボルボは2017年に「クルマの物理的な鍵を全廃する」と宣言している。これも世界初となる見込みだ。希望者は従来の鍵穴と鍵をオプションで選べる予定だが、基本的には「鍵なし車」。スマホでクルマを操作する。
「これからはクルマが情報のプラットフォームになる」。ボルボで新サービスを担当するロバート・ジャグラー氏はこう話す。
このサービスに関する取材は、記者が現地に行った後、追加で依頼したもの。ボルボの独自性を取材するうちに、デジタルキーが重要な戦略の一部ではないかと思い始めたからだ。当初の計画では、工場などの生産施設の見学とパワートレーンに関連する技術担当役員へのインタビューをメーンに考えていた。
取材してみると、デジタルキーの様々な潜在力が見えてきた。
アイデアは既にある
「実現しようとしているいくつかのアイデアは既にある」。ジャグラー氏は具体的な言及を避けたが、ヒントを与えてくれた。
一つは販売店との関係性の変化だ。これまで消費者はクルマに不具合が生じた場合、近くの販売店に自ら足を運んで修理を申し出ていた。デジタルキーがあれば、たとえユーザーが不在でも、販売店がそれぞれのクルマに出向いて簡単な修理を行ったり、クルマを整備工場に運ぶこともできる。「この数年の間に、クルマを取り巻く環境はがらりと変わるだろう」(ジャグラー氏)。
デジタルキーがあれば、自分のクルマがどんな状況か瞬時に分かる
カーシェアリングへの転用も考えられる。自分が持つクルマをカーシェアリングする場合でも、鍵の受け渡しをすることなくスムーズに貸し出すことができる。
アプリを使えば、クルマがどこにいて、誰が何回ロックを解除したか、どれくらいの距離を走ったのかを瞬時に確認することができるので、貸し出している側も安心できる。
ボルボは今年8月、ライドシェア大手の米ウーバー・テクノロジーズと自動運転車の開発で提携した。自動運転とシェアリングを組み合わせるビジネスがボルボの視野に入っているとみられる。
鍵の全廃だけでなく、クルマをECサイトで買えるようにしたり、あえて部品メーカーと自動運転ソフトウェア開発の合弁会社を立ち上げたりするなど、近年のボルボは我が道を行く。
小規模メーカーなのに投資できるワケ
2010年に中国の浙江吉利控股集団(ジーリー・ホールディング)に買収され、経営の独立性と豊富なチャイナマネーによってボルボの業績は急回復した。2015年12月期の年間販売台数は過去最高。2016年12月期はその記録をさらに更新する見通しだ。
とはいえ、年間販売台数は約50万台で、富士重工業やマツダの半分以下。環境規制や新技術への対応で自動車各社の研究開発費が増える傾向にあるなか、なぜ小規模メーカーがここまで独自色を出せるのか。
「5年前の話をしよう。その時に全て決めたことだ」。開発部門トップのピーター・メーテンス上級副社長はこう言う。
ジーリー傘下に入った後、ボルボは「コネクティビティー(接続性)」「PHV(プラグインハイブリッド車)」「EV(電気自動車)」「自動運転」の4つに重点分野を絞り込んだ。
自動運転も重点分野。試作車第一号が9月に完成し、これから実証実験を進める
逆に「やらないこと」も決めた。高級車の代名詞でもある6気筒や8気筒のエンジン開発をストップし、4気筒以下だけを開発する方針を掲げた。トヨタ自動車やホンダが次世代エコカーとして位置付けるFCV(燃料電池車)を開発しないことも決めた。車種も基本的には「90シリーズ」「60シリーズ」「40シリーズ」の3つのカテゴリーだけに絞り込んでいる。
こうした選択と集中が、小規模メーカーながらボルボが効率的な投資で我道を進むことができる理由だ。
鍵の全廃は、「尖った取り組み」を声高に宣言することでピーアール効果を大きくするというマーケティング的な要素もあるだろう。実際は鍵とデジタルキーが併存する状態が長く続く可能性は高い。それでも、選択と集中によるぶれない戦略は、小規模メーカーの生き残り方のヒントとなるに違いない。
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