9月下旬、宮城県の電子機器メーカーであるケイテックが、新横浜駅近くへの本社移転を祝う開所式を開いた。同社の主力事業はEMS(電子機器の受託製造サービス)と呼ばれるものだ。EMSといえばシャープを買収した台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業が有名だ。規模では中堅クラスだが、ケイテックの技術力は波乱に富んだ歴史が証明している。

 同社はもともとソニーの一工場(社名は東洋電子研究所)として1963年に出発している。「ウォークマン」1号機や初期のカーナビを生産してきた。転機になったのは2000年。ソレクトロン(現フレクストロニクス)がソニーからケイテックの前身企業を買収し、日本法人の製造部門としてEMSを始めた。

 2005年にはジャフコの支援を受け、MBO(経営陣が参加する買収)でソレクトロンからケイテックとして独立を果たす。ジャフコとの早期の黒字化という約束は果たせず、2008年にリサ・パートナーズの支援を受けて再びMBOに踏み切った。そのリサと袂を分かつと、2010年に日本政策投資銀行の支援を受けて3度目のMBOに至る。

本社移転はめでたいが

 今年8月末にようやくその政投銀の保有株を1億3000万円で買い戻した。ソニーを離れて16年目の独立となる。収益が悪化した時期にも支援企業が現われたのは、技術に定評があったからこそ。だが、「たらいまわし」状態で経営陣も従業員も落ち着かない年月を過ごしてきた。

 だからこそ、野村和正会長は開所式で「今までに借りたお金はすべて返せた。我々は名実ともにようやく独立した。『宮城のケイテック』から『世界のケイテック』を目指す。本社移転はその第一歩だ」と高らかに宣言した。

 野村会長はソニーでブラウン管テレビ「ベガ」を手掛け、ディスプレイデバイスカンパニーのプレジデントを務めた。ブラウン管を切り捨てて液晶・プラズマへと舵を切ろうとする会社と対立した後は、退社してユニデン専務に転じている。2005年にケイテック社長に就任し、2年前からは会長として同社を率いてきた。

ケイテックの新本社開所を祝う式典。野村和正会長は左から2人目。