家計資産の3割を占める金融資産で進む「顧客本位」を目指した改革。一方で、7割を占める不動産などの実物資産については、業者側の「顧客の資産価値を最大化する」という意識が必ずしも高くないのが現状だ。売り手と買い手の「情報格差」につけ込むようなビジネスから脱却する必要がある。
豪腕ぶりが話題を集める金融庁の森信親長官(写真:竹井 俊晴)
「もう長官が怒っただけではニュースとはいえないね」。金融業界を取材する記者仲間と話す中でこんな冗談が出るほど、金融庁の森信親長官の豪腕ぶりは際立っている。「顧客本位の業務運営ができているのか」という、シンプルだが厳しい問いを長官就任以来、銀行や証券会社、資産運用会社など金融業界に向けて投げかけ続けてきた。
顧客本位の業務運営とは、英語で受託者責任という概念を示す「フィデューシャリー・デューティー」を金融庁が意訳したもの。例えば資産運用を受託した金融機関は、資産を預けた人の利益を最大化することに努める義務があり、顧客の利益に反するような行動は取ってはならないということだ。
当たり前、と思われるかもしれないが、以前からずっと顧客本位の業務運営ができてきたと胸を張れる金融機関はそれほど多くないはずだ。むしろ、顧客に株式や投信を次々と買い換えさせることで、手数料収入を最大化するビジネスモデルすらまかり通っていた。顧客の資産を増やすとの観点がなかったとまではいわないが、優先順位としては低かったと言わざるをえない。
なぜ、こんなことが通用してきたのか。それは金融商品において、売り手と顧客の情報格差があまりにも大きいからだ。
「毎月確実に一定金額が受け取れる分配型投信はいかがでしょう?」。「これからは電気自動車。部品を作っている会社の株は有望ですよ」。「仕組預金の方が金利が高くなっています」。金融のプロが丁寧に好条件を示しながら金融商品について説明すれば、普段は自分の仕事で忙しい消費者がどれだけ疑ってかかっても不都合な真実を見抜くのは難しい。そして契約を結んでしまえば、あとは業界にとって便利な言葉がある。
「投資は自己責任」。確かに消費者は、リスクを伴う商品を購入する際に知識を身につけて判断し、その結果を受け入れるべきだ。だが、それは金融のプロが「顧客本位の業務運営」を実施している、すなわち顧客の資産を最大化してくれるために金融商品を提案してくれているという前提があってのこと。法律で定められた最低限の告知事項を守っていても、金融機関が本心では手数料収入最大化を優先して行動しているなら、到底フェアな取引といえない。
消費者も馬鹿ではない。「銀行よさようなら、証券よこんにちは」という言葉が流行語になったのは1960年代。それから半世紀以上たってなお、日本の個人金融資産1800兆円の5割が現預金であるという事実は、金融業界が中長期的にメリットのある選択肢を提供できてこなかったことの、しっぺ返しといえそうだ。
今、金融業界で「顧客本位」を目指した改革は進み始めた。金融庁を恐れる以上に、少子高齢化と経済成熟化の中で、売買手数料に頼るビジネスモデルそのものが通用しなくなることが明らかだからだ。メガバンクや証券、保険、資産運用会社などがそれぞれ「フィデューシャリー・デューティー宣言」を明確に掲げる。顧客の資産を増やすことに正面から取り組むことで、顧客から預かる資産総額を増やそうとする方向性に異を唱える人はいないだろう。
だが実は、それでも資産運用の「本丸」は手付かずのままだ。
不動産で「顧客本位」は根付くのか
総務省が5年に一回実施している「全国消費実態調査」。最新の「平成26年調査」によれば、家計資産において金融資産が占める割合は29.8%にすぎない。残る70.2%は住宅・宅地資産など、実物資産だ。
不動産は人生で購入する回数が少ないのに加えて複雑な規制が入り組むため、売り手と買い手の情報格差が大きい。「顧客にとっての資産価値を最大化する」という視点で営業をしている点でも、金融商品と似ている。それでは、不動産業界は「顧客本意」を徹底できているのだろうか。
全国的に空き家が増えているのに、次々と建築されるアパート。不採算となって頭を抱えるオーナーが少なくない。多くの相談が寄せられるサブリース問題解決センター(東京・中央)の大谷昭ニセンター長は、「アパートを建てても採算がとれない土地なのに、『相続税対策になる。家賃は30年保証する』と業者に説得されてしまう」と証言する。30年間満室で家賃減額もないという非現実的なシミュレーションを提示して契約を迫る業者もいる。数年たって採算がとれないことが明らかになったら家賃減額を要求され、結局オーナーが損失を被ることになるケースが多い。
分譲マンションや住宅についてはどうか。一昨年、話題になった横浜市の「傾きマンション」のケースは、業界を代表する大手が不具合のあった物件の建て替えや買い取りという手厚い補償を提案し、責任を果たした。だが、途中経過を見れば、建物の不具合を住民が再三訴えても現状をしっかり調査することすらしぶり続けていた。ある住民は「建築の専門知識を持った人がたまたま住んでいたから戦えたが、さもなければ泣き寝入りになっていた」と証言する。
賃貸物件でも、情報格差を利用する業者が少なくない。首都圏不動産公正取引協議会が今年4~7月に5つの大手不動産情報サイトにおける広告の実態を調べたところ、調査対象とした929物件のうち78物件(8.3%)が「おとり広告」。違反企業は143社中32社(22.3%)に上った。おとり広告とは、実際には存在しない好条件の物件を広告に掲載することだ。美味しい条件につられてやってきた顧客に「残念ながら、ちょうど契約が決まってしまったんですよ」などと言い抜けて、ほかの物件を紹介するというわけだ。
もちろん、これらは一部の事例にすぎず、まっとうに商売をしているケースがほとんどであることは承知している。ただし、不動産という高額商品はトラブルに巻き込まれた人が文字通り人生を左右されることになる。金融商品よりもよほど厳格に「顧客本位」を貫く必要があるはずだ。
金融各社は今、それぞれ「フィデューシャリー・デューティー宣言」を打ち出し、実態もそれに合わせて変えていこうとしている。それは、素人に対して「情報格差」を利用して儲けることはしないという決意の表れでもある。不動産業界にもその波が及んで初めて、日本の資産運用ビジネスが健全化したといえそうだ。
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