8月中旬、岩手県盛岡市に帰省した。盆と正月は必ず地元に戻っているのだが、今年はひとつ、驚いたことがあった。
それは実家の近所にある公園だ。子どものころ毎日のように野球やサッカーを楽しんだ、日本の住宅地ならどこにでもありそうな平凡な児童公園なのだが、久しぶりに訪れたその公園が、あまりに荒れ果てた姿をみせていたのだ。
雑草は生え放題。遊具は錆びつき、電灯もカバーが欠けたまま。朝から夕方まで子どもたちが声を張り上げて遊んでいた、そんな、かつての光景は見る影もない。
記者がかつて毎日のように遊んだ近所の公園。遠くに岩手山を望むなど申し分ない環境だったが……。しばらく訪れることがなかったが、歩き回るようになった息子を散歩に連れていこうと久しぶりに足を運び、初めて荒廃ぶりに気づいた
荒れ果てた思い出の公園
記者の実家は、1980年代半ばに分譲の始まった、かつての「新興住宅地」にある。盛岡市の中心部から7~8km。自家用車があれば市街地にも無理なく通勤できる距離ながら、土地は比較的安い。昭和63年生まれの私は2歳のころ、両親がマイホームを新築したのにあわせ、この住宅地で暮らし始めた。
当時はとにかく子どもであふれていた。小中学校ともに学年は40人学級が5つあり、放課後は公園に行けば必ず誰か知り合いが遊んでいた。山を切り拓いた土地のため自然も身近。子ども時代を過ごすには申し分のない環境だった。
それが何故、これだけ荒れ果てた姿になるのか……。「きっと高齢化だよな」と察しはつくが、調べてみると、そのスピードは想像を超えていた。
盛岡市がウェブサイトで公表している統計によると、記者が中学3年だった2003年、当時通っていた学校の通学区域となっていた2つの町の地域人口は7452人。うち65歳以上の比率はわずか5.4%と、全国平均(2005年時点で20.2%)と比べても、とても「若い街」だった。
これが2018年には、総人口6324人のうち65歳以上が23%を占めている。
2017年に27.7%だった全国平均と比べれば、まだマシともいえる。だが全国の高齢化率は5%から23%に達するまでに55年かかっている。それだけの大きな変化をわずか15年で経験しているのが、私が育った住宅地ということになる。公園の整備にまで手が回らないのも無理のないことと言えそうだ。
文句を言う資格はありません
市役所が公表しているデータから、自宅近隣の人口ピラミッドを作ってみた。
2003年時点では「40~50代」と「10代」、2つの世代の多さが目立っていた。きっとマイホームを建てて5~10年ほどの親世代と、その子世代だろう。私の家族も、まさにこの2つのボリュームゾーンの一部であった。
ところが2018年の人口ピラミッドでは、かつての40~50代がほぼそのまま15歳ぶん加齢している一方、その子世代はすっぽりと消えてしまっている。 私も他人のことをとやかくいう資格はない。高校を卒業したタイミングで上京し、そのまま東京に居着いている。いまのところUターンの予定もない。
「小規模公園は町内会に管理をお願いしています……」
「小規模な公園は、地元町内会にお願いして管理してもらっているのが実情です」。盛岡市の公園みどり課に電話してみると、担当者からはそんな答えが返ってきた。町内会で清掃活動をするといっても、これだけ高齢化が進んでいれば、参加する人がいないのも当然だろう。
であれば、市が直接、整備にあたることはできないのか。聞いてみると「本当は市で予算をつけられればいいのですが、やはり余裕がないんです。なにしろ街路樹の手入れも業者に外注できず、市役所の職員が自分たちでやっているような状況ですので……」とのこと。なるほど、それは辛い。
東京の多摩ニュータウンや、大阪なら千里ニュータウン……。「老いる新興住宅地」はよく議論されるトピックであり、いまどき珍しい現象ではないだろう。だが自分の育った実家周辺が、その渦中にある様子を目の当たりにした今年の夏。ニュースで見聞きするのとは別次元で、コトの深刻さを実感した。
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