「自動運転よりも、乗り合いタクシーを税金でやってくれた方がうれしいねえ」
自動運転に関する国の検討委員会に参加するある識者は、地方の高齢者へのヒアリングで出た意見に思わず頷いてしまった。
日本は2020年に無人運転車両を用いた特定地域での輸送サービスの実施を目指している。ヒアリングはこのサービスへの需要を調べる目的があった。
無人運転といっても、これは「完全自動運転を意味するレベル4ではなく、レベル2でしかない」(国交省関係者)。遠隔とはいえ監視がつき、ヒトのコントロール下に置かれるためだ。
日本が加盟するジュネーブ条約は運転手のいない自動車を認めておらず、改正に向けた議論が進められている。今春には運転者は中にいなくてもよいとする解釈も示された。日本が示している未来像はあくまで条約が現状認めている範囲のものだ。2025年をめどとする完全自動運転車の市場化に向けて、弾みをつける狙いがある。
地域の社会問題にスポットを当てて自動運転の利点をアピールする手法は、自動車産業が大衆車に軸足を置いている日本からすれば当然のことかもしれない。
しかし、冒頭の高齢者の言葉が示すように当事者のニーズを適格に捉えているかは別の問題だ。もちろん交通弱者にとって、地域の足が充実することは大歓迎だが、それなら親しみ慣れているタクシーの方がよいという訳だ。
将来的には無人運転輸送が有人タクシーよりもコストが下がり安全性も上がる見通しがあるからこそ、こうした施策が進められるわけだが、「運転手のいる車に乗っている方が安心」という思いがぬぐえない高齢者が多いのも頷ける話だ。
こうした日本の国民性とも言える志向が自動運転普及の課題になると見る関係者は多い。国交省の関係者も「日本人は4000が2000になっても納得しないだろう」と話す。
4000とは日本での交通事故による死亡者の概数。仮にこれがレベルを問わず自動運転の普及により実現したとしても「日本人は2000人死者が減ったのではなく、2000人が自動運転にひき殺されたと捉えるのではないか」
自動車メーカーにとってこれは大きな足かせだ。極論を言えば、自らの技術力により2000人の命を救ったとしても、2000人の死亡に関わる過失犯になってしまう可能性すらあるからだ。「そのため4000を0にする確信ができるまで、自動運転と称して市場投入することにためらいを感じるメーカーも多いはずだ」(国交省関係者)
こうした自動運転の「社会受容性」の問題は警察庁などの検討委員会でも大きな議論になっている。しかし、どうにもこの委員会が国民に議論を呼び起こすものにはなっていないように思う。
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