原発はその象徴だ。福島第1原発の事故後も国は一貫して「原発は一定程度必要」との立場を崩していない。同時に、東電会長に就任した川村氏も原発については国とスタンスを一つにしている。7月に複数のメディアを集めてインタビューに応じた川村会長は「将来的にも原発は日本に必要」と推進の立場を改めて強調した。東電の会長人事は実質的に国が主導したため当然ではあるが、その姿勢は前会長を務めたJFEホールディングス元社長の数土文夫氏より前のめりな印象を受ける。

リスクを抱えつつ強まる「国策民営」

 川村会長が原発の必要性を痛感したのは1970年代に起きたオイルショックだという。エネルギー源を原油に頼り、石油火力発電に電力を依存していた日本は大混乱に陥り、以降、原発の拡大に大きく舵を切ることとなった。

 使用済み核燃料の処理費用を含めても、原発は他の電源に比べて競争力がある電源と言えるのか。福島第1原発のような過酷事故が再び起きたらどうするのか。その議論は今も続いている。だが川村会長、そして国からすれば、どんな課題があろうとも原発は日本のエネルギー安全保障を守るために絶対に必要な存在に位置付けられる。

 その考え方には一理あるのかもしれない。だが、市場の覇権を握るほどの規模と競争力とを手にしつつある企業、そしてそのトップが、国の政策を体現する存在であっていいのかという問題は残る。一民間企業が国の安全保障を担えるのか。何よりも、時に経済合理性よりも安全保障を重視する組織を企業と呼べるのか。

 東電が経営努力により競争力を高めることは、民間企業としては成功と言える。だがその努力は即ち原発推進という国策を強力に推し進める原動力になる。しかも皮肉なことに、原発に反対する消費者も、福島第1原発事故の処理を早く、スムーズに進めて欲しいと願えば東電を応援せざるを得ない。

 電力会社と国との距離の近さや、国策民営の原発事業について批判する声は事故以前からあった。その実態は事故後もあまり変わらず、むしろ強まっている。原発に過酷事故が起きた場合、一民間企業ではその処理を担いきれないことは明らかになった。それでも原発が日本のエネルギー安全保障上欠せないと言うのであれば、それは民間企業ではなく、本来は国が担うべき事業ではないか。こうした矛盾をどう川村会長は整理し解決していくのか、考えはまだ見えない。