「伝統芸能」に苦しむ官僚

 霞が関の官僚が最も忙しくなるのが、担当法案の国会審議が迫っている時期だ。この際、「新旧改め文」と呼ばれる法改正の案文や、改正前後の条文を並べる「新旧対照表」をつくることが官僚にとって苦痛になっていた。

 前述したように、旧式のデータベースは一次資料として使えなかった。そのため、担当官僚は法令の原典である「黒本」がずらっと並ぶ通称「タコ部屋」に缶詰になって資料を作成していたのだ。チェックのために担当官僚同士の読み合わせも必要なので、黒本を持ち帰って自宅で作業することもできない。

霞が関の非効率労働の象徴だった「黒本」

 更に悩ましいのが、資料の書式だ。例えば、改め文の文章の出だしを何マス空けてから書き出すか、文章の性質によって細かく決められている。新旧対照表も条文によって施行のタイミングが違う場合、順番に応じて文字を色分けしなければならない。「ルールをちょっとでも間違えると、内閣の担当官に提出したその場で書類を破られることもあった」と小泉さんは振り返る。

30時間の作業が10秒に

 このルールは省庁によって異なることもあるのでさらに厄介。人事異動の度にルールを覚え直さなくてはならない。しかもマニュアルがなく「口伝」でのみルールが伝えられる部署もあった。それゆえに、改め文や新旧対照表の作成は官僚の間で「霞が関の伝統芸能」と揶揄されていたのだ。このルールは見た目の美しさを追及する意味があったとみられるが、若手の官僚にとっては実質的な利点が理解し難い代物になっていた。

 ところが、新しいデータベースは、プログラム言語の変更により、改正部分を旧法令と自動で照合して、資料を自動作成してくれるようになったのだ。以前は30時間ほどかかることもあった作業が10秒程度で完了する。

 e-LAWSのメリットはほかにもある。正確性が担保されてオンラインデータベースを一次資料として使えるようになったことにより、黒本のコピーを手作業で切り貼りすることで作っていた法案作成用の資料も、パソコン上で作成が可能。子育てや介護を抱える官僚が自宅で作業もできるようにもなった。

 それにしても、なぜこんな前時代的な慣習が長く続いていたのか。小泉さんと白石さんは「誰に改善を申し出ればいいのかも分からなかったためではないか」と推測する。資料をチェックする内閣法制局は5つのグループに分かれており、それぞれルールの解釈が微妙に異なる。前述したように省庁毎にもルールの違いがある。つまり、誰かが責任をもってルールを所管しているわけでもないのに、ルールの実行だけは強制されるという状況だった。これでは一体誰に文句を言っていいやら分からない。

 しかし、2014年に女性のキャリア官僚が糾合して「霞が関で働く女性有志」が結成されたことで潮目が変わる。立ち上げ直後だった内閣人事局に対し、優秀な女性官僚が継続して働き続けられる環境整備のための提言書を提出。政権が女性の活躍推進を掲げていたことが後押しになり、人事局内に現場からの改革案を募る窓口ができた。妊娠中の白石さん、7歳の子を持つ小泉さんも「これまで受け流されていた女性のための職場改善の提案を、真剣に検討してもらえる風土が出来上がった」と喜ぶ。

 この記事を読んでくれている読者は「意味のない伝統を残し続けたいかにもお役所らしい話だ」と苦笑するかもしれない。記者も同感なのだが、民間企業だって笑ってばかりはいられない。記者は働き方改革の本質を見誤っている企業は存外多いのではないかと感じている。