自動車メーカーとの信頼関係が揺らぐ
(3)は少し分かりにくいのでもう少し解説すると、部品に何らかの問題が起きた時に支払う代償はこれまで、自動車メーカーと部品メーカーとで互いの落ち度を話し合い、それに応じて分担してきた。
「部品の不具合は全て部品メーカーの責任」と思いがちだが、実際には、そうとも言い切れない。部品メーカーが納入した部品自体は求められた品質に達していたとしても、自動車メーカーの使い方や組み立て方によって不具合が生じるケースもあるからだ。
さらに自動車メーカーには、品質基準を達成した部品を使う義務がある。部品調達時にきちんと品質を見極められず、結果として欠陥品を世に送り出してしまったのであれば、その責任の一端は自動車メーカーにもあると言えるのだ。
とはいえ、部品メーカーが出荷時に全品の品質をチェックし、さらに自動車メーカーも調達時に全品のチェックをするのでは、コストも時間もかかりすぎる。だから基本的に自動車メーカーは、信頼できる部品メーカーとだけ取引をし、過剰な二重チェックをしなくて済むようにしてきたのだ。
この持ちつ持たれつの関係が、ポスト「タカタ」時代には崩れる可能性が高い。自動車メーカーは部品メーカーを信用できなくなり、従来以上の品質保証を要求してくることは十分に考えられる。
例えば、どの部品がいつどの生産ラインで作られ、品質検査は誰がどのように実施し、結果はどんな数値だったのか、といった細かなデータの提出を求めてくるかもしれない。
自動車メーカーとて自身を守る権利があるのだから当然といえば当然だが、こうした品質保証を部品メーカーに求めてもなお発生した品質問題の代償は、全て部品メーカーが支払うことになるだろう。
これが冒頭で知人が「他人事ではない」と言っていた理由だ。
「自分さえ良ければいい」というエゴが生み出すもの
これは日本の自動車業界全体にとって由々しき問題だ。日本の自動車が世界市場で高い競争力を維持してこられたのは、誤解を恐れずに言えば、自動車メーカーと部品メーカーの信頼関係に起因するところが大きい。だが、ポスト「タカタ」時代には、自動車メーカーから部品メーカーへの監視が強まるだろう。
ここで言いたいことを図にすると下記になる。
少し話が飛ぶが(後でつながるのでしばしご辛抱を!)、記者は米国中西部の大学でジャーナリズムと経済学を専攻した。受講したあらゆる授業の中で最も印象に残っている授業の一つに「環境経済学(Environmental Economy)」がある。
確か、当時は記者が通っていた大学にいた教授が考案した学問だったために、他の大学では教えていなかったはずだ(あまりにも昔で記憶があいまいだが……)。その内容が哲学的で、学生ながら「これは人生を通して指針になる」と深く感じ入ったのを覚えている。
授業では単純な数式がよく登場したが、中でも頻繁に登場した記号が「U(Utility)」だった。もちろんUも、その教授が作ったものだ。
Uとは、「人類が地球から享受できる恩恵の合計」を表す。「今、この瞬間」という特定の時間で見ることもできるし、「○年から△年まで」と期間を限定して見ることもできる。
いずれにしても、環境経営学においては、いかなる経済活動もUを最大化させることを優先する。そうすれば、人類は末永く繁栄できる――。これが、その教授の言いたかったことの全てだったように思う。
「そんなの当然じゃないか」と思われる方もいるだろう。だが、現実の経済活動においてUを最大化させるのは難しい。どうしても人間には「自分さえ良ければいい」というエゴがあり、それに基づいた経済活動に陥りがちだからだ。
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