「不思議な生き物が踊っているぞ」
4月下旬、「ライセンシングエキスポジャパン2018」という展示会を取材中の記者の目に飛び込んできたのは、黄色い体の不思議なキャラクターが書かれたポスターだった。キリンのように長い首、ゾウのように垂れ下がった鼻。頭の横から出ているのはゾウの耳のような、人の手のような……。名前は「ジラファン」というらしい。
思わず足を止めた記者に、ブースの担当者が菓子の袋を見せてくれる。ネスレの有名商品「キットカット」のハロウィン限定仕様のパッケージだ。その上にもやはりジラファンが躍動している。取り出した個包装の上には「きっと!」「こんにちは!」「I LOVE YOU」といった言葉とともに、両手を動かすキャラクターたちが描かれている。
そう、ただ踊っているのではない。これは手話なのだ。
「僕の両親は耳が聞こえないので、子どもの頃から簡単なホームサインで会話していました」
そう語るのは、ジラファンを生み出したアーティスト、門秀彦(かど・ひでひこ)氏だ。手話をはじめとするコミュニケーションをテーマに、絵画やデザインを制作している。「でも小学生にもなると、簡単な手話では表現しきれなくなる。そこで、言葉の代わりに絵を描くようになりました。小さい頃は話すのが得意ではなかったので、友達をつくる目的で学校でも絵を描いて、欲しいという人にプレゼントしたりしていましたね」
コミュニケーション上の必要に迫られて、手段として描きはじめた絵。それがいまでは全国に流通する人気商品とコラボするまでに至った。しかし話を聞いてみると、門氏は美術の専門教育を受けたわけでも、デザイン事務所で研鑽を積んだわけでもない。
美術教育やデザイン業への反発があったわけでもない。むしろその機会を常に求めながらも脇道に逸れ続け、そのなかで自身のスタイルを見つけてきた。門氏の話を聞きながら、記者もその回り道に引き込まれていった。
発見に至るまでのユニークな回り道
門氏は長崎市出身。思い返すと、両親とのコミュニケーション手段から出発した絵が自分の「作品」へと変化したのは、中学生の頃だったという。1950~60年代にアメリカで活躍した「ビート・ジェネレーション」に憧れ、絵だけでなく詩や音楽や写真にものめり込んでいた。
ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグを代表とする「ビート・ジェネレーション」の代名詞といえば、リズムと抑揚に満ちた詩の朗読だ。インタビューに応じる門氏の口調は淡々としていたが、言葉のテンポや強弱の置き方のメリハリにはたしかに、どこか詩のような印象があった。
「絵のモチーフが浮かんだときは、印象を忘れないように一筆書きのようなラフを描いていました。メモとして、やわらかい感じの人はこうなんだ、がちっとした人はこうなんだ、という印象だけおさえて素早く描いていました」
そのうち、幼なじみが門氏の絵のファンになった。ただし彼がより評価したのは、完成した画用紙の絵ではなくラフのほうだった。『これは俺かと思った』「こっちはあいつだと思ったよ」と想像を広げる幼馴染の姿を見てラフの可能性に気づいた門氏は、むしろラフそのものを作品へと高めていく道を選んだ。
コンテストではたびたび入賞したが、学校では先生に絵を褒められることは少なかった。自分は絵が上手いという自覚もそれほどなかったという。
そんな彼に初めて美術の道を意識させたのは、中学校の新任美術教師だった。彼女は門氏の絵を評価し、美術系高校への推薦入学を提案した。
「そういう道があるんだ、とそこで初めて意識した」
自然と描いていた絵が、自分の未来に突然つながる。そんな心躍る瞬間のイメージが記者の脳裏にも浮かんだ。
しかし、その進路は寸前で閉ざされてしまう。健康診断で色覚特性が見つかったことで、当時の規定により推薦を得られなくなったのだ。
やむを得ず普通高校に進学した門氏だったが、推薦の件で食った肩透かしの後味は残った。
「一回頑張ろうと思ったら、はしごを外されるという経験をしたので、美術部には入りませんでした。美術は経済的に余裕のある人がやるものだ、そんなにちんたらいくわけにはいかないんだよ、と思い、卒業後は普通に就職するつもりでいました」
しかし、彼の才能に惹かれる人物がまた現れる。美術の授業を担当する外部講師だった。講師は門氏のために画材を用意し、それを好きに使って絵を描くように勧めてくれた。「そこで夏休みに3日間くらい学校に行って絵を描いたら、コンテストで最優秀賞かなにかを取ったんです。そうしたら先生が、卒業後は知り合いのデザイン事務所に行けと言って推薦してくれました」
しかし、それもまたもやぬか喜びに終わる。
「いち早く就職が決まったと思ってほっとしていたんですが、話がそこから進まない。先生に聞くと、即戦力が欲しいからお前を雇う余裕はないらしいと言われました。でもそこでデザイン事務所という存在を知ったことで、そこに行けばなんとかなるかもしれないと思ったんです」
高校卒業後、門氏はデザインの仕事を夢見ながらも、横浜のパン工場、福岡のお好み焼き屋、名古屋での建設作業員などを経て、長崎のアパレル店員という仕事にたどり着く。目的のない彷徨ではなく、すべてデザインの仕事に近づくための選択だった。パン工場はデザイン事務所の多い東京に近づくため、お好み焼き屋はデザイン性の高い店舗づくりに関わる機会を得るため、建設作業員は専門学校に通う資金を貯めるため、そしてアパレル店員はオリジナル商品や店舗の企画に関わるために選んだ仕事だった。
「同じことの繰り返しになってますが、結局、洋服屋でもあまり絵を書かせてもらえなかったんですよ。そのまま販売を2、3年ほどやっていました」
その頃を回顧する門氏の口調は穏やかで、どこか面白がっているようにも見えたが、きっともどかしい思いもあっただろう。
壁画を描く仕事で、絵の可能性に気づく
そんな彼に転機をもたらしたのは、人づてに回ってきた壁画の仕事だった
当時、数カ月後に改装工事を控えた地元の老舗百貨店のビルの壁が、がらんとして寂しい姿を商店街にさらしていた。その壁を絵で飾る仕事が門氏に託された。
「制作中の絵を見に来た人が『この絵の前で待ち合わせしよう』と話しているのを聞きました。ならば待ち合わせをしている人を絵の中にも描けば、一体化して面白いと思ったんです。差し入れに来た両親も『自分たちもろう者同士で待ち合わせるときは、この絵の前にしよう』と盛り上がっていたので、だったらここにろう者も来るなと思って、手話をしている人も一緒に描き込んだんです」
今につながる制作コンセプトが生まれたのはそのときだった。
壁画に対し、予期せぬ大きな反響が返ってきた。描かれた手話をヒップホップのサインだと勘違いし「かっこいい。Tシャツにしたい」と言う知人もいた。手話だと告げると彼は驚き、門氏は待望していたデザインの仕事の機会を得ることになった。一時は美術系高校への進学を阻んだ色覚障害も、ここにきて彼の重要な個性となった。
「色には自信がなかったんですが、壁画で初めて色鮮やかなペンキを使いました。すると、俺が目の前で描いているのに、通りがかる人たちは壁画を外国人アーティストの作品だと勘違いしたんです。でも、色が変だとは誰にも言われませんでした」
仕事ではハンディキャップでも、作品なら個性になる。今では色づかいが門氏の作品を特徴づける重要な要素だ。回り道の末、持っているものと望むものがカチリと噛み合った。
言葉だけでも、手話だけでもない
手話は単に手を使って表す記号ではなく、会話だ。だからこそ門氏は自身のコンセプトを「手話(ハンド・サイン)」ではなく、「ハンド・トーク」または「トーキング・ハンズ」と呼ぶ。
「流れるように話すことだけが伝える技術ではなくて、要点をぽんぽんと置いてその間にある意味を伝えようとするという方法もあると思うんです。音楽や映像、写真も、あえて省くことで力強い表現になっている。手話も同じだと思っています。言語なので、人によって身体の使い方の大きさや表情にはその人の癖が出てきます。テンポもあるし、手をたたく音や息づかいといった、本人が意図しない情報もある。手話を少し忘れかけていても、目の動きや息づかいや手の音にぐーっと集中して、その人がなにを言おうとしているのか感じ取ろうとすると、本当に分かってくるんです」
人間が全身でなにかを伝えようとする瞬間をとらえる力。それが門氏の作品の強い魅力となっている。そしてジラファンこそ、その魅力を見事に体現するキャラクターといえるだろう。
「ジラファンがどうやって誰かと出会って自分を表現していくか。それを考えて何度も描いているうちに、このかたちになったんです」
遠くまで見るための長い首に、よく聴き、手話で伝えるための大きな耳。門氏はコミュニケーションの成り立つ瞬間に人格を与えた。関心は手話だけにとどまらない。料理で伝え合う動物たちや、絵で伝え合う動物たちなど、構想はコミュニケーションを軸に多方向に広がっている。いずれのキャラクターも鮮やかに可愛らしく表現され、そこから自然とメッセージに引き込まれる。
「誰でも入りやすい入り口をつくりたい」というのが門氏の願いだ。
「そこで手話に興味を持ったら、ろう文化のアイデンティティのような深い話に入っていって欲しいです。そこには僕よりもっと詳しい人たちがいますから。でももっとライトに楽しみたいというのもいい。僕としては、人が集まるところ、たとえるなら渋谷や原宿のようなところに入り口をつくる仕事がしたいと思っています。手話こそが素晴らしいのだといいたいわけではなくて、身体表現や伝えることに気づいてしまえば、あとは歌でもダンスでもなんでもいい。手話に出会ったことでそれに気づくというのは、本当によくあることなんですよ」
健聴者は「言葉だけがコミュニケーションではない」と、ろう者は「手話だけがコミュニケーションではない」と、相互に学び合う余地がある。
門氏のマネジメントを行うHandmade Creativeの正岡和寿(まさおか・かずとし)社長がネスレ日本の槇亮次(まき・りょうじ)マーケティング部長にジラファンをプレゼンしたことから、コラボレーションが始まった。槇氏は一目で絵に引き込まれたという。
長期的な視点でライフタイムバリューを積み上げるのがキットカットのブランド戦略だ。人が誰かと一緒に思い出をつくる場面から発想し、これまでも受験生や震災復興の応援、観光地土産、プレミアムギフトなどの機会をとらえた企画を開発してきた。手話の持つ新鮮さや驚きも相まって、コミュニケーションを作品の軸とする門氏の作風はハロウィン版キットカットにぴたりとはまった。
パッケージ上でジラファンが示すハンド・トークは「きっと!」、つまり約束を意味する。そこにはネスレ日本の狙いとともに、伝えること・つなぐこと・出会うことを考え続けてきた門氏の願いも込められているのだろう。
昨年のハロウィン仕様キットカットの発売直後、ろう者や彼らを支援する人々から大きな反響が返ってきた。単に手話を取り上げるのではなく、キャラクターを通じてろう文化をクリエイティブに展開する。そんな姿勢に対する感嘆の声も多かった。
「手話のデザインが自分の専売特許だとは全く思っていないです。俺が最初に見つけたけど、みんな真似して広まると思っていました。でも意外と真似されなかった。20年ほど前は、手話や福祉といったものは手を出しづらい空気があったのかもしれません。でもこの2、3年は、社会の反応が全く違います。キットカットへの反響の大きさもそうです。2020年の東京オリンピック・パラリンピックも含めいろいろな要素があって、すごく変わってきている感じがします。今後2、3年で、自分と違う人たちとどうつながるかという意識がぐっと高まっていくと思うので、今こそみんなのチャンスだと感じます」
そう語る門氏の口調には、静かな熱が宿っていた。
5月下旬にラスベガスで行われた「ライセンシングエキスポ2018」での制作の様子。現在、門氏の作品を生で見る機会は、個展ではなくもっぱらライブペインティングだ。
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