豊田章男社長の決算スピーチでは「等身大の実力」「未来への投資を優先」の2つがキーワードとなった(写真=Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
上場企業による決算発表シーズンが終了した。2017年3月期(前期)は純利益が過去最高となり、2018年3月期(今期)も数%の増益となる見通しという。堅調な米国経済や中国景気の回復に支えられ、足元の事業環境は悪くない。
ただ、アベノミクス開始当初のような、「円安加速で日本企業の利益2ケタ成長」といった派手さは無い。主要な上場企業は、「業績は悪く無いけど、以前ほどは期待しないでね」という微妙なメッセージを市場に伝えるのに苦心している様に思える。トヨタ自動車の決算発表で「名言」が増えているのも、このような背景があるからだろう。
「未来への投資」発言、若干くせ者
「等身大の実力」「未来への投資を優先」
5月10日、トヨタ自動車の決算会見。豊田章男社長のコメントで注目を集めたのは上にある2つだろう。
名言1 等身大の実力
こちらは前期業績について振り返ったコメント。営業利益は前の期に比べ30%減の1兆9943億円。グループ世界販売台数は1025万台と過去最高を更新したものの、為替が円高に振れて約9400億円の利益押し下げ要因となった。為替要因を除くと1年前とトントンの水準。豊田社長の「為替の追い風も向かい風もない中で、等身大の実力が素直に表れたものだ」というコメントはまさに言い得て妙だろう。
名言2 未来への投資を優先
これは今期の営業利益が前期比20%減の1兆6000億円になるとの予想に添えられた言葉。正式には「目先の利益確保を最優先するのではなく、未来への投資も安定的・継続的に進めていく」という内容だ。成長投資を重視するため、2年連続の減益となるが許して貰いたい、という意味合いだ。こちらは先ほどの「等身大」発言に比べて若干くせ者だ。言葉の背景には、日本の株式市場を巡る不思議なしきたりが隠されている。
減益予想でも株価は上昇
実は決算発表翌日の11日、トヨタ株は減益予想にもかかわらず1%値上がりしている。株式市場の関係者は、トヨタの未来投資を優先する企業精神に感銘した――。わけでは無い。彼らはプロだ、数字にはとことん厳しい。要は、トヨタが発表した業績予想を額面通りに受け取らなかったということだ。
トヨタは日本企業のなかでも、特に控えめに業績予想を見積もる企業として知られている。直近10年間を振り返っても、リーマンショックで世界経済が低迷した時期を除いては、業績の下方修正は一度も無い。実際に前期も、当初の営業利益は40%減の1兆7000億円を予想していたが、最終的には3000億円近く上振れている。
決算資料に隠された業績上振れ余地
トヨタが5月10日に開示した業績予想の資料を読み解くと、今後の上方修正に備えたバッファー(余地)がいくつも隠されている。
まずは為替。トヨタは業績予想を算出する際の想定為替レートを1ドル105円と「悲観シナリオ」で設定している。これが例えば現在の113円で1年間推移した場合を考える。トヨタは1円円安となると、営業利益が約400億円増える。そのため、1ドル113円なら、業績予想よりも3000億円近く利益が上振れする。
次にカイゼン効果について。決算資料には原価改善の努力で今期は営業損益ベースで900億円のプラス効果があると書いてある。しかし前期は4400億円も原価改善している。前々期は3900億円。その前は2800億円。毎年加速しているカイゼンが、今期果たして急減速するのだろうか。
原価改善の努力によるプラス効果900億円という予想は例年の実績に比べかなり控えめだ
くどいようだが、もう一つ。豊田社長が減益要因と暗に示した「未来への投資」の部分だ。実は資料を読む限りはそこまで増えていない。研究開発費は前期の1兆375億円から1兆500億円に増えた程度。設備投資も1兆2118億円から1兆3000億円。2つ合わせても1000億円程度のコスト上昇にしかならない。ここ数年、トヨタは成長投資を拡大しており、例年通りのペースと見て取ることもできる。今期は大胆に「未来への投資」に振り向けたとは正直言いがたい。
「未来への投資を優先する」とは言ったものの、研究開発費や設備投資の伸びは小さい
アナリストは増益予想
こういった、トヨタの業績開示の傾向を特に良く知っているのが証券アナリスト。彼ら、彼女らが導き出した今期のトヨタ業績予想(QUICKコンセンサス)は営業利益が約2兆1000億円(5月11日時点)。会社予想より5000億円も高く見積もられ、前期比6%の増益となる。
決算発表からの、トヨタ側と株式市場側の心の会話を勝手に解釈すると以下の様になるだろう。
トヨタ「いつも通り低めの業績予想を出しましたが、実際は大きく業績が崩れる可能性は低いと思います。最終的には数%の増益で落ち着けば良いですけどね」
市場関係者「いつもの保守的予想ですね。でも、実際はそこまで悪く無さそうですね。昨年ほど円高のダメージを受けないとすると若干の増益でしょうかね」
こういった、トヨタと株式市場の暗黙のやりとりは上手に実行しなければ大変な事になる。市場は時に、過大に期待して株価をつり上げ、時に極端に絶望して暴落を招く。トヨタ側もスピーチライターが原稿を用意し、会見の前日には想定質問への回答練習をするなど用意周到なはずだ。そして市場にメッセージを伝える。本当の業績予想は、決算発表で公表した数値に比べて「もうちょっと良い」ですよ。「すごく良い」でも、「悪い」でも無いですよ。ちゃんと読み取って、雰囲気読んで下さいね。
その「もうちょっと良い」のニュアンスを上手く伝えるために、練って練られたキーワードが今年の「未来への投資」である。未来への投資をしている余裕があるので、逆風ではありませんという内容だ。例年もこういった市場との対話のために、「意志ある踊り場」「年輪を重ねていく」など象徴的なコメントを前面に出すスピーチ構成にしている。
業績発表は能の世界観
しかし、ここで率直な意見を言いたい。こんな業績開示の方法、変じゃないか。
あえて企業が低めの業績予想を出し、だれも額面通りには受け取らない。実際の数値は、経営者の醸し出す雰囲気や、微妙な言葉のニュアンスで受け取ってほしい。表面上に現れにくいものを、お互いが築きあげた共通の世界観によって埋めていく。もはや伝統芸能の世界だ。能や狂言を見ているみたいだ。言外の意味を読み取れなんて、外国人投資家にも日本の投資初心者にも伝わらない。
そもそも、こういった不自然な構図が生まれた背景には、業績予想を数字で開示してきた日本市場の慣習にある。数値目標を設定した場合、その数値より実績が下回ると、株価は値下がりするし、経営者のイメージも悪くなる。できれば避けたい。それならば素直な予想数値を出すのでは無く、低めのハードルにしよう。
欧米の上場企業は通期予想を数値で示す事はない。日本における数値開示は、一見透明性を向上するかのように思えるが、逆に不自然な結果を生んでしまった。
やはり無理がある、ということは東京証券取引所側も理解している。東証はこの春から、決算発表のタイミングで公表される決算短信の表記ルールを変更。業績の数値予想を、これまでの強い要請から「自発的な開示を検討下さい」という表現に緩め、暗に数値開示の廃止も容認する姿勢を示した。
数値開示取りやめの動きも
これに対し、今回の決算シーズンでは、新日鉄住金やJFEホールディングスが通期の数値予想を見送った。今後、数値開示を取りやめる動きが広がれば、不自然に低く設定された業績予想を巡る市場との対話は無くなり、トヨタ決算での名言シリーズも終わりを迎えるかもしれない。
しかし、数字が無くなったら無くなったで、今度は何を手掛かりに、市場は企業の業績先行きを予想して行けば良いのかという悩みに直面するはずだ。一難去ってまた一難。透明で公正のある市場作りは、なかなか難しい。
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