横浜市に住む38歳の男性。敏腕の金融マンとして職場では知られていたが最近は覇気がない。彼をよく知る人に話を聞いた。

 「業務中、うつろな目をする時があって、みんな心配しています。変化があったのは1年前、会社の残業ゼロ作戦が始まって数カ月が経ったころです」と話す。

 「夜7時にはオフィスが消灯、それ以降の残業は上長の特別な許可が必要なので実質、できなくなりました。終電帰りが当たり前だった彼もほとんどの日は夜7時までに帰ります。最初は、2人の娘と寝る前の時間を過ごせるなど喜んでいました。週末には公園で子供と遊び『理想的なパパだと言われる』と自慢げに話していました」と続ける。

 仕事も家庭も大切にするそんな彼が、なぜ変化してしまったのか。

 「はっきりとは言いませんが、家庭に居場所がないようなことを話していました。『妻に使われている気がする』とも言っていました。今まで仕事一筋だったので、大きな生活の変化で何か緊張感のようなものが切れてしまったのではないでしょうか」と推測する。

 読者の方の中にはこのエピソードを聞いて首をかしげる人もあるだろう。「残業せずに帰れるなんてうらやましい。家に帰らずとも友人と食事をしたり、ジムで汗を流したりできるじゃないか」と。

 だが実際に取材をしてみると、冒頭に紹介した男性のような例は少なくない。

万人にとって嬉しいはずの残業ゼロだが

 効率的に働き、残業を減らす。そのために全館消灯、ノー残業デーの設定、残業申告制など社員に帰宅を促す施策を企業が打つ。その方向性はもちろん間違っていない。

 日本企業は海外先進国に比べ、ホワイトカラーの生産性が低いとさまざまな調査機関から長年指摘されているし、パートタイムや時短労働者を除く一般労働者の年間総労働時間も、厚生労働省の調査で2000時間を超える状況が20年以上続いているからだ。

 しかし、望んでいたか否かに関わらず、残業を減らし働き方を変えるのは、社員に与える影響も大きい。残業ゼロだからといって、必ずしも社員が満足して働いているとは限らない。

 「残業ほとんどなし、夕方5時に退社する『5時ピタ職場』だったのに会社の雰囲気は暗かった」

 こう話すのは東京都中央区にある化粧品会社、ランクアップの岩崎裕美子社長だ。

社員の月間残業時間は平均3時間。実質、残業ゼロで10年連続増収を続けるランクアップの岩崎裕美子社長

 ランクアップは岩崎社長が2005年に設立。以前に働いていた広告代理店での長時間労働を反省し、さらには出産をきっかけに社員の残業を禁じた。2011年、東日本大震災後にサマータイムを導入してからは5時ピタが定着した。

 それでも会社の雰囲気が暗かったのは「私がワンマンで社員が作業員になってしまっていたから」と岩崎社長は話す。仕事のやりがいはないが、早く帰れるから辞める理由もない。岩崎社長は「別れたいけど、なんとなく別れられない恋人のよう」と当時の社員の会社に対する気持ちを表現する。

 その後は社員の挑戦する気持ちを引き出すために、権限委譲を進め、ルーチンワークを減らす対策を進めた。業務を洗い出し、社内でやる必要のない業務はすべて外部に委託する体制に変えた。例えば経理業務は会計事務所にアウトソーシングし、100万円未満の入出金の確認や通帳記帳までも任せるなど徹底させた。

 その分の社員の労働時間を商品開発や広告宣伝に振り向け、時には社外から講師を招いて講義をするなど社員が自律的に動く組織づくりを目指した。