益城町では多くの家々が崩れ、商店は立ち入り禁止に

 最後に、地震被害の大きかった益城町へ向かった。熊本市の中心部から車で30分ほどで町内に入ると、雰囲気が大きく変わる。道が波打ち、一部では亀裂が走る。瓦屋根の家々は崩れ、酒屋や工務店、居酒屋などほとんどの商店の外壁に「立入禁止」の赤い紙が貼られている。

益城町の倒壊した商店 (写真=浦川祐史)
店舗全体が傾いている。最も地震被害の大きかった益城町では多くの商店に「立入禁止」の紙が貼られていた (写真=浦川祐史)

 役場の駐車場では支援物資が配給され、水を使わないシャンプーやミネラルウォーターを手に取る住民の姿が見られた。役場職員は、物資は18日から本格的に届くようになったと話す。最初の大きな地震が14日夜に発生したことを考えると、物資の安定確保まで3日以上かかった計算だ。高齢の被災者が多く、苦労は計り知れない。

 地震発生から1週間が経とうとしている。強い余震が続くなか、経済活動の復旧に向けた予定表は当然描けない段階だ。ガス・水道の回復が遅れ、高速道・鉄道の通行止めなどが物流の足かせとなっている。今後の道のりは容易ではない。

 その中で強く感じられたのは、東京など他の地域との危機感の違いだ。

 記者自身、東京を出発する前は、地震被害の甚大さに正直ピンときていなかった。現地を訪れると、地元テレビ局はライフラインの復旧状況を繰り返し伝え、CMの多くは「ACジャパン」に差し替えられている。生活はまだ止まっている。思っていたよりもずっと。

 日本全体は、熊本を心配はするが、東日本大震災のような危機意識を共有はできていない。メディアが大きく報じても、大きくは伝わらない部分が残る。現地とは空気感が違う。建物は想像以上に崩れ、人々は苦しみ困っている。歯がゆい思いが残る。

支援物資は届き始めている。益城町役場にて (写真=浦川祐史)