高裁判断を「参照する」

 大阪高裁決定の翌々日、30日に、広島地裁が四国電力伊方原発3号機の再稼働を容認した。その決定内容の一部を引用する。

 新規制基準の審査に合格した原発を巡る仮処分事案で「司法審査の在り方について直接言及した判例は見当たらない」。通常、判例とは最高裁の判断を指す。つまり、まだ四隅は決していないということだ。

 しかし、福岡高等裁判所宮崎支部の再稼働容認決定を「司法審査の在り方について一定の判断を示した、確定した抗告審決定であって、(中略)ほかに同種の事案に係る別の裁判所による確定した抗告審決定は見当たらない」と評価した。そして「本件における司法審査の在り方については、福岡高等裁判所宮崎支部の決定を参照とする」。

 分かり易く言えば「判例として参照できる最高裁決定がないので、川内原発の再稼働を容認した福岡高裁宮崎支部決定を判例として扱いますね」ということだ。高浜原発訴訟の住民側弁護団長で元裁判官の井戸謙一弁護士は「前代未聞。重大な事案ではあり得ない恣意的な判断だ」と憤る。

 大阪高裁と福岡高裁宮崎支部が住民側の主張をことごとく退けた考え方の枠組みは、1992年の伊方原発を巡る最高裁判決に沿っていると言える。高度な専門性が絡む原発の問題について、不合理な点が確認できなければ行政の裁量性を広く認める内容の判決だ。これが福島第1原子力発電所の事故前までに原発訴訟の四隅を担っていた判例だった。続く広島地裁が福岡高裁宮崎支部決定を引用したことで、1992年の判決は隠然たる影響力をもつ流れができてきたとも言える。

未だ見えない損害の全体像

 しかし、それで本当によいのだろうか。新規制基準とその審査の不合理性は無く、審査に合格した原発の事故発生確率が極限まで小さくなったのだとしても、関電自身も認めているとおりリスクがゼロになることはありえない。ならば、事故発生時の損害の大きさはどうなのか。発生確率が極小でも、損害が極大なら意味が無い。日本社会が大きな原発事故を経験したことがなかった時代に示された「1992年の判決」が、福島第1原子力発電所の事故後に、そのまま前例として踏まえられていくことには違和感を禁じえない。

 昨年、経済産業省が示した福島第1原子力発電所の事故処理費用21・5兆円は、損害規模算出の1つの指針になるのかもしれないが、高レベル放射性廃棄物の処理方法がまだ未確定など、不合理だらけの試算といえる。結論を急いでよい問題ではないはずだ。今後もまだまだ続く原発訴訟の中で、現実と向き合った議論が少しでも深まってほしい。

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