消費増税の再延期論が拡大する中、財務省お得意の根回し攻勢が鳴りを潜めている。安倍晋三首相が政権運営の選択肢を広げている背景には、「最強官庁」の影響力低下という要素も大きい。
盟友関係とはいえ、首相と財務相の立場を踏まえた思惑の違いも(写真=時事)
2016年度予算が成立し、後半国会の焦点はTPP(環太平洋経済連携協定)の承認案と関連法案の審議などに移った。もっとも、2017年4月に予定される消費税率10%への引き上げの再延期論や7月の参院選に合わせた衆参同日選論が広がりを見せる中、与野党の関心は安倍晋三首相による消費増税の判断、同日選の是非、参院選に向けた経済対策に集中しているのが実情だ。
選択肢を広げる安倍首相
「引き上げを延期するかどうかについては、発生した事態のもとで、専門的な見地からの分析も踏まえその時の政治判断で決定すべきだ」
「延期をするためには法改正が必要だ。その制約要件のなかで適宜適切に判断していきたい」
安倍首相は4月1日(日本時間2日)、訪問先のワシントンで同行記者団に消費増税再延期の可能性をにじませる一方、同日選については「(衆院の)解散の2文字は全く頭の片隅にもない」と否定して見せた。
安倍首相の発言の意図に関し、安倍首相に近い自民党議員は「増税延期と同日選を必ずしもセットで考えているわけではないことを示し、政権運営の幅を広げる狙いがある」と話す。
安倍首相周辺や関係者の話を総合すると、消費増税と参院選・同日選を巡り、安倍首相は複数の選択肢を視野に入れている。以下列挙してみるとーー。
① 消費増税は予定通り、同日選は行わず
② 消費増税は予定通り、同日選を実施
③ 消費増税を再延期し、同日選を実施
④ 消費増税を再延期し、同日選は行わず
安倍首相は5月末の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)前に経済対策の大枠を固める方針で、サミット前後にこれらの選択肢を中心に増税や同日選について判断する見通しだ。
ここにきて、民進党の岡田克也代表が「増税延期なら明らかな公約違反で辞任に値する。選挙に有利だと先送りするなら政治の劣化を招く」と強く批判。経団連の榊原定征会長をはじめ、経済界からも予定通りの増税実施を求める声が相次いでいる。
だが、安倍首相を精神的に追い込むだけのうねりになるには程遠い状況だ。
世界経済の減速で足元の国内景気はふらついている。アベノミクスに厳しい視線が注がれる中、政権への批判が高まってもおかしくない。それなのに、安倍首相は増税再延期や同日選をちらつかせることで政権運営のフリーハンドを保ち、自らが政局をコントロールできる環境を維持しているのだ。
急低下した財務省の影響力
野党への期待が高まっていないこともあろうが、大きな要因として挙げられるのが、財務省とその支持勢力の影響力の低下だ。
時計の針を2014年11月の前回の「消費増税先送り・衆院解散」時に戻してみる。安倍首相が増税先送りを決める直前まで、財務省は文字通り総力を挙げて2015年10月からの消費税率10%への引き上げ実現に向けた根回し作業を展開していた。
詳細な資料を持参しての「ご説明」の対象は自民の有力議員はもとより、民主党議員、マスコミ関係者など広範囲に及んだ。筆者レベルでも同省幹部、中堅課長からの面会要請が増え、財務省の組織力や情報収集力というものを再認識させられたものだ。
こうして周到に形成されていった「再増税包囲網」を前に、当時の安倍首相や菅義偉官房長官は頭を抱えていた。2014年7~9月期のGDP(国内総生産)の落ち込みが確実視される中、増税に踏み切れば景気が腰折れし、政権が掲げるデフレ脱却が夢物語に終わりかねないと危惧したためだ。
「増税先送りを決めた途端に政局になって政権がガタガタするのを防ぐには、衆院の解散しかないと思った。解散すれば、議員は選挙の準備をするしかないから」。安倍首相は後に、親しい関係者にこう漏らしている。
財務省とその応援団のパワーをそぐため乾坤一擲の勝負に挑んだ安倍首相。与党を圧勝に導いたことで首相官邸主導を決定づけ、財務省のパワーは大きくそがれた。
こうした流れをさらに加速させたのが、昨年末の軽減税率導入を巡る攻防だった。すったもんだの末に自民、公明両党は飲食料品などの税率を8%に据え置くことで折り合ったが、財務省の当初案とは大きく異なる決着となった。
納税額を厳密に把握するインボイス(税額票)の導入など財務省も「実」を取る形にはなった。とはいえ、結果として「官邸1強」と、税制の決定権限を握っていた自民の税制調査会、これを支える財務省の凋落という姿が浮き彫りになったのは紛れもない事実だ。
「今回は動くな」
財務省にとっては、税制の主要テーマを巡ってまさかの連敗となった。その後も官邸から財務省の財政規律論へのけん制が漏れ伝わり、財務省幹部人事に対する観測記事が各種マスコミで報じられた。
情報源は不明とはいえ、官邸が各省幹部の人事権を実質的に掌握している事実は重い。人事権を背景に主要政策や予算編成などで官邸が主導権を握る構図が一層鮮明となる中、明らかに現在の財務省の動きは鈍っている。
「上からは、今回は動くなと言われている」。財務省の中堅幹部はこう漏らす。2014年や昨年の軽減税率を巡る論争時とは大きく異なり、増税実施に向けた自民議員などへの財務省の組織的な働きかけは事実上、封印されている。このことが、現在の安倍首相の選択肢の拡大につながっているといえる。
とはいえ、安倍首相が増税の再延期を決断するのは容易ではない。2014年に増税延期を表明した際、安倍首相は「再び延期することはない」と断言。経済情勢次第で増税を停止できると定めた消費増税法の景気弾力条項も削除している。
安倍首相が繰り返し語るように「世界経済の不透明さが増している」のは確かだが、世界経済の現状がリーマンショック級の「大幅な収縮」とまで言えるかについては自民内でも懐疑的な見方が根強い。増税を延期した場合、社会保障充実のための財源の手当てや財政再建への道筋も不透明になるため、公明内から懸念の声も出ている。
官邸の判断待ちの状況にある財務省は、こうした中、官邸の意向に配慮しながら淡々と予定通りの消費増税に向けた環境整備を進めている。
安倍首相は5日、2016年度予算を前倒しして執行するよう指示した。今後は経済対策の検討を急ぎ、切れ目のない対応で景気を下支えする考えだ。財務省内では「消費税率の引き上げが実現するなら何でもする」(幹部)との声も出ており、補正予算を秋の臨時国会と年明けの通常国会の2回に渡って編成する案や、所得税などの時限的な減税策の検討案も浮上している。
実際に増税を先送りするかどうかはともかく、少なくともサミットと景気テコ入れをにらんだ大型の財政出動への流れが固まり、柔軟な財政運営への地ならしが進んだことは、安倍首相の思惑通りの展開と言える。
永田町を浮足立たせ、市場の大きな関心を集めている増税延期論と同日選論。安倍首相はあらゆる要素を踏まえて判断を下す構えだが、政権内のパワーバランスの変化を反映した関係者の水面下の綱引きも一段と活発化しそうだ。
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