続く憑依、「もう限界」

 手を拱いているばかりではなかった。幸長氏や従業員はツテを頼って祠を建てるのに不可欠な評判の高い霊媒師を探していた。怪異が起きるたびに皆で肩を寄せ合い、幸長氏が大切にしていた仏像にお祈りをした。操業を一時的に止めて近所のお寺にお参りに行ったりもした。

 しかし憑依も怪異も収まらない。「眠れない日々が続き、毎朝会社に向かうのが嫌になっていた」と幸長氏は言う。ただ「自分が休んだ瞬間、会社は立ち行かなくなる」と重い足取りで出社していた。

 10日後、精霊はついに痺れを切らした。「いつまで待たせるのか。今日の日没までに祠を用意できなければ、血を見ることになる」。精霊はこう告げ、続けて「お前の家にも来ているのが分からないのか」と幸長氏を名指しして叫んだ。「もうこれ以上は限界だ」(幸長氏)。お金には糸目をつけずに高名な霊媒師をバンコクから招き、とにかく急ぎ祠を建てた。精霊が希望した通り牛や豚の血も備えた。

 これに満足したのか、徐々に女性従業員への憑依は少なくなっていき、同時に今度は吉事が続いた。祠を建てて以降、従業員が購入した宝くじが不思議なほど当たるようになったのだ。噂は地域に広がり、「ニューエラーの祠」には宝くじ当選を願う人々が大挙して押し寄せるようになった。道路は渋滞し、祠はお供え物や花で埋もれた。子どもを授かる女性従業員も相次いだ。

 加えて会社は2年目で黒字を達成し、累損も解消。2011年には生産拡大に伴い、レンタル工場からほど近い場所に新工場も建てた。「憑依事件の後は、精霊の加護かと思うほどスムーズに事業が進んだ」(幸長氏)。一方、ニューエラーインターナショナルの退去後、レンタル工場に残る祠はみるみるうちに廃れていったという。

マネジメントの課題としての「精霊」

 上述の「タイを知るための78章」の執筆陣の一人でタイの民俗に詳しい石高真吾氏は、幸長氏の経験について「珍しい話ではない」と話す。霊樹が埋められ、その恨みから憑依が起こり、鎮めれば宝くじが当たるなどき吉事が続く。一連の出来事は「クラシックでパターン化されお話」(石高氏)なのだという。

 ただレンタル工場は既に建設から20年近く立っていた。なぜ、わざわざ精霊は幸長氏の元に現れたのか。

 幸長氏は若くして異国での企業経営を、しかも突然任されることになった。日本の本社では幸長氏の抜擢を快く思わない向きも一部あったという。早く成果を出したいという思いや焦り、経営に対する幸長氏自身の不安が従業員には伝わったのかもしれない。穿った見方をすれば、そこにレンタル工場における「祠の不在」や初年度にタンブンをしなかったという小さな不安要素が繋がり、「精霊の憑依」という定型の物語が工場内で始まったと考えることもできる。

 あくまで一つの解釈に過ぎないが、ただ一つ言えるのは、幸長氏も言うように「精霊は確かにいた」ということだ。それは憑依された女性従業員だけでなく、この工場で働いていたほぼ全ての従業員の心の中にいた。もし彼らの精霊に対する畏怖を幸長氏が「迷信」と歯牙にもかけなかったとすれば、従業員の心は離れ、事業は崩壊していただろう。

 一方で、彼らの文化や習慣、そして恐れを幸長氏は共有し、寄り添い、社員の目線に立って精霊に立ち向かうことができた。だから騒動が一巡した後は労使が一致団結することができ、結果、事業を軌道に乗せることができたのかもしれない。

 この経験は幸長氏に従業員の幸福について考える契機を与えた。彼らに活き活きと働いてもらうには何が必要なのか。長い間考え続けた結果、たどり着いたのが、冒頭の福利厚生の代行事業だった。

 タイのバンコク近郊に多く集まる日系企業にとって、こうした精霊の話は他人事ではない。最近ではタイの生産コスト上昇により、CLMV(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)など近隣諸国に生産拠点を移転させる動きが出ている。中には道路や電力など最低限のインフラがまだ十分に進んでいない地域に拠点を作ろうと考える企業もある。

 経済の発展度合いと、いわゆる伝統的な文化や慣習の定着度合いとに相関関係があるとは言い切れない。とはいえ、こうした国々や地域では、発展しているバンコクより濃密に、宗教的、民俗的、霊的な存在が息づいている可能性は高いだろう。彼らに出会う機会があること、時にその出会いが経営上のリスクにすらなり得ることを、前線に立つ駐在員だけでなく、日本の本社にいる海外事業担当者も頭の片隅に入れておくべきなのかもしれない。