イランは、制裁が本格化した2012年以前には日量400万バレル程度の原油を生産していたが、その後は250万~260万バレル程度に落ちていた。すぐではないにせよ、その差の100万バレル余りが市場に出てくれば、需給はさらに緩みかねない。イランは1974年頃には、600万バレルを生産しており、その量に留まらない可能性さえある。

 だが、なぜ米国は長年の仇敵への制裁解除に舵を切ったのか。しかも、イランはシリアのバッシャール・アル=アサド大統領や、レバノンの反政府武装組織、ヒズボラや反イスラエルのイスラム原理主義組織、ハマスを支援している。

シェールオイルが変えた米国外交

 裏にあるのは、世界が今、過激派武装組織、イスラム国(IS)を初めとしたテロの拡大と、ウクライナに介入し、クリミア半島を併合したロシアと欧米の東西対立という深刻な地政学リスクだ。

 暴力と圧政の坩堝(るつぼ)のような中東の中で、複雑極まりない問題を動かすカギになる可能性が出てきたのがイランだった。実はイランは、イスラム教の中でもシーア派と呼ばれる宗派に属し、スンニ派で自国にとっても脅威となるISと対立している。そして、ロシアには近い。

 「イランとの関係を正常化すれば、ISへの圧力を強められるし、ヒズボラやハマスなどの問題を好転させるきっかけになるかもしれない。ロシアとの対立を改善するためにも使える」(東京財団の渡部恒雄・上席研究員)。米国はそう考えた可能性がある。

 一方のイランは、経済制裁で原油輸出が激減し、疲弊した経済を立て直すことが重要な課題となっていた。2013年8月に就任したハサン・ロウハニ大統領は穏健派として知られ、開放路線に舵を切っていたから、「好機」だったとも言える。

 米国はサウジと距離を置こうとしたのではなく、深刻さを増す問題を動かすためにまずイランとの関係を作ろうとした。その結果、「サウジとはやや離れた格好になったという方が正しい」(同)。

 しかし、自身のエネルギー安全保障にも影響しかねない思い切った手段に米国はなぜ踏み出せたのか。1つの傍証はやはり原油である。深い地下の泥岩(けつ岩=シェール)層にある原油の一種であるシェールオイルの生産が本格化し始めたのは2011年頃から。2007年に約120万バレルだったシェールオイルの生産量は、昨年3月には550万バレルに達し、従来型の油田からのものを含めた原油の生産量をほぼ倍増させた。

 これによって、原油の国内消費量に占める輸入の比率は大幅に落ちた。2005年頃には60%を輸入に頼っていたが、既に40%を切るまでになっている。日本エネルギー経済研究所の推計では、米国は2012年には、中東から210万バレルを輸入していたが、2040年にはゼロになる可能性もあるという。

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