価値観の集合体が作り出す、理解されぬ苦しみ

 誤解のないように申し添えると、私は、性別適合手術の保険適用に反対しているわけではない。トランスジェンダーの人々にとって治療の選択肢が増えることは歓迎すべきことだと思う。

 ただ、保険適用によって、当事者ではない人々の間で、「トランスジェンダーは医学的にケアすればいいのであって、自分には関係ない」という考え方、無関心が広がってしまうのではないかと、一抹の不安を感じている。

 トランスジェンダーの人々が感じる精神的苦痛・苦悩の一部は、社会通念、いわば「個々人の価値観の集合体」が作り出したものだ。一人ひとりの価値観(判断基準)は、多数決で優劣が決まるものではない。にもかかわらず、集合体となったときには、マイノリティーが自身の存在を否定されたように感じ、苦しんでしまう。

 そのような価値観の集合体という刃を向けられ、生きにくさを感じているのは、トランスジェンダーだけではない。

 私の友人で、胸が小さいことを深刻に悩んでいる女性がいる。彼女はこう言う。

 「胸の大きな女性を特に好むかどうかは人それぞれ。でも、お茶の間に流れるバラエティー番組で、胸の大きい女性がことさらもてはやされるのを見ると、『ああ、やっぱり男の人は胸が大きい女性の方がいいんだな』と憂鬱になって、自分は世の中に女性として受け入れられていないのではないかと思ってしまう」

 彼女は髪を短く切り、スカートもめったにはかない。薄着になる夏は、胸の小ささが目立たないように猫背気味で歩く。「かといって豊胸手術を受けるほどの勇気もお金もないし。職場の飲み会で『女っぷり』が話題になったときは、心を無にしてやり過ごしてるよ」

 顔立ちや身長といった容姿に劣等感(コンプレックス)を持つ人、コミュニケーションが苦手で「空気が読めない」と言われてしまう人、過去に痴漢の被害を受けたショックで電車に乗れない人――。他人には見えないところ分からないところで、生きにくさを感じる人は多い。医師に診断された病気だけがケアすべき対象というわけではないし、もっと言えば、病気に苦しむ人を幸せにする方法は医療だけではない。

 病気とは何か、医療とは何か。「心や体にまつわる苦悩」という多様なニーズにどう向き合い、対応していくか――。医療サービスは医療従事者しか提供できないが、持続可能な医療保険制度の下、誰もが最後まで幸せに生きる社会をつくるうえで、多くの国民が関心を持つことが不可欠ではないだろうか。