日系自動車メーカーの幹部から先日、こんな話を聞いた。
「さっき昼飯のときかな、うちの米国法人の役員のやつらに聞いたんだけど、最近ニューヨーク・タイムズ(NYT)とかワシントン・ポストとか、長年親しんだ新聞を読まなくなっているらしいんですよ」
このメーカー、米国でもかなりの高いブランド力を誇る一流企業だ。その米国法人の役員となれば、高学歴で、それなりの収入があり、リベラル。クオリティ・ペーパーと呼ばれる両紙が、まさに読者のターゲットとして定めている層に属しているはずだ。
「なぜかって聞いてみたんです。そしたらね、NYTやワシントン・ポストはトランプにボロクソに攻撃されているから、負けじとボロクソに書くじゃないですか。もちろんトランプの政策にはひどいものも多いけれど、なかには支持できるものもある。それなのに極端に悪いほうばっかり書くから、っていうんですね」
トランプ流の強引な政権運営には批判も多いが、選挙で勝ったものはしょうがない。どんなに嘆いても、同氏率いる政権下で事業を続けなくてはならない現実は動かしようがない。それならトランプ氏を攻撃する記事ばかりを読んでいるわけにもいかない――。ビジネスパーソンらしい、合理的な考えかたと捉えることもできるだろう。
NYT「情け容赦なく報道していく」
悩ましい。NYTもワシントン・ポストも、米政権の中枢をえぐる調査報道で際立った実績を誇る。国際社会の文脈とかけ離れた「トランプ流」に歯止めをかけるうえでも、両紙が果たす役割は大きい。だが、それが必ずしも読者ニーズと一致しないとしたら……。
それでも両紙は、トランプ氏に対する追及の手を緩めようとしない。NYTは1月、「いまこの瞬間ほど、私たちの使命がクリスタルのように澄んでいるときはない」と表明した。「より攻撃的・積極的に(aggressively)、公正に(fairly)、情け容赦なく(unrelentingly)報じていくために」、17年の編集方針として500万ドル(約5億6000万円)を投資。トランプ氏が政策の目玉とする移民政策などに詳しい専門記者を採用するなどして、報道体制を強化すると発表した。
ワシントン・ポストもトランプ氏の発言について「不正確だ」ではなく、あえて「ウソだ」という表現を使って糾弾を続ける姿勢を崩さない。
もちろん論じるべきは論じるべきであり、批判すべきは批判すべきだ。ただ、両紙がトランプ大統領を紙面で攻撃すればするほど、同氏の思うツボ、ということにならないか。
16年の大統領選に民主党陣営の選挙ボランティアとして携わった明治大学の海野素央教授は、トランプ氏とメディアの関係を「トランプ・ループの罠」と名付けた(詳しくはオバマは「感情移入大統領」だった)。トランプ氏の発言をメディアが取り上げ、メディアは関係者の反応や、トランプ氏に対する批判を記事にする。そして、その記事に再びトランプ氏が反応する(場合によっては罵る)という構図だ。
海野教授は「メディアが、トランプ大統領のイメージ戦略に加担していることになる。どうすればこの罠から抜け出せるのか。誰も答えを見つけられていない」と指摘する。
ましてやNYTとワシントン・ポストは、インテリ層が読むことで知られる2媒体だ。トランプ氏陣営に票を投じたのは、既存の上流階級(エスタブリッシュメント)が世の中を牛耳るのを嫌う低・中所得層だったと指摘される。NYTやワシントン・ポストがどんなにトランプ氏を批判しても、トランプ氏が両紙を仮想敵として攻撃し返すことで、トランプ派によるトランプ氏の支持は、より強固になる恐れすらあるのではないか。
実際、トランプ氏は1月28日、自身のTwitterで「NYTとワシントン・ポストの私に関する報道は間違いだらけ」と怒ってみせた。原文をみると「Thr coverage about me in the @nytimes and the @washingtonpost gas been so false(以下略)」。「The」と「has」の綴りの間違いに、トランプ氏の両紙への怒りがにじみ出ているが、このツイートには8万件を超える「Like(いいね)」がついている。
トランプ・ループの罠から抜け出すにはどうすればいいのか。誰しもが戸惑いをみせるなか、トランプ流にあわせた行動指針を打ち出す報道機関も出てきた。
それは「ロイター流」ではない
「米国の大統領が、記者を『地球上で最も不誠実な存在』と呼ぶとか、政権幹部がメディアを『野党』呼ばわりすることなんて、よくあることではない」
ロイター通信の編集長、スティーブ・アドラー氏が1月31日、世界に散らばる記者に向けて送ったメッセージの冒頭部分だ。ここまではNYTと似ているが、結論は異なる。
「では、ロイターはどう対応するか。政権に反対する? 譲歩すればいい? それとも記者会見をボイコットする? あるいは私たちのプラットフォームを使って、(国民から)報道機関に対する支持を呼びかけることなのか」
そうではない、とアドラー氏は続ける。
「こう考えるメディアが存在するのは確かだし、媒体によってはそれも正しいかもしれない。けれど、それは『ロイター流』ではない」
かわりにアドラー氏が訴えるのは「要らぬケンカは売らない」姿勢だ。ロイターが見つめるべきは政権ではなく、読者。大切なのは「読者がどのように暮らし、何を考え、なにが読者の生活を傷つけ、あるいは手助けとなっているかを取材すること」。そして「政府の動きが読者にどう受け止められるかを念頭に取材すること」だという。メディアvs.政権という構図は記者にとっては関心事かもしれないが「それは内輪話にすぎず、読者は興味を示さないかもしれない。それに(興味を持ったとしても)もしかしたら私たちを支持してくれないかもしれない」。
大統領就任前の記者会見では、記者を指さして「Fake news」と叫ぶトランプ氏の言動が報道された。だが「日々のフラストレーションはあると思うが、それを表に出すことはやめよう」とアドラー氏は訴える。ロイターは100カ国以上から現地記者がニュースを発信している。中国、ロシア、イラク――。政権がメディアを攻撃する国なんて、米国以外にもいくらでもある。「どこにいても、人々の生活に関係し、人々がより良い決断をして暮らせるのに資する報道をしよう」(アドラー氏)
「トランプだって必死なんです」。自動車業界に詳しいあるアナリストはこう語る。「史上最低の支持率で発足した政権なのだから、スタートダッシュで点を稼がないと2年後の中間選挙で負ける。すると、史上最低の大統領として歴史に名を残すことになる」
トランプ氏の前例ない行動に戸惑い動揺するのは自動車メーカーや製薬業界だけではない。同氏のスタイルとどう向き合うのか。私たちメディアも、トランプ流との向き合いかたを早急に確立させなければならない。自戒も込めて、そう痛感している。
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