DSLNGの基地でLNGを積み込むLNG船(写真:DSLNG提供)
DSLNGの基地でLNGを積み込むLNG船(写真:DSLNG提供)

 スラウェシ島のLNG基地があるガス田は元々、埋蔵量が中小規模。近くにジャカルタのような大消費地がないため、採算がとりにくいガス田として放置されていた経緯があった。様々な資源価格が高騰し始めていた2006年ごろ、開発されないまま放置されていたこの中小規模のガス田開発に着手しようとする動きを、インドネシアで三菱商事がつかんだ。

 主に大規模ガス田を手掛ける欧米石油メジャーは、この規模では開発に参画しようとせず、石油メジャー以外が入り込む余地があった。通常、石油メジャーが手掛ける大規模ガス田は最低でも年700万トンを産出する規模だが、同ガス田は年200万トン程度の産出量に過ぎない。

 だが、石油メジャーが入ってこないのは、新参者にとってはチャンス。そこで三菱商事は、中小規模のガス田を効率的にLNGプロジェクト化するビジネスモデルを作り、プルタミナやインドネシアの民間石油会社メドコなどに開発プロジェクトの売り込みを始めた。

遅れた政府承認、合弁企業のマネジメントでも苦労

 2007年にインドネシア政府が行ったセレクションで、他の日本の商社など10社程度と争った結果、三菱商事がパートナーに選ばれた。これを受け2007年、三菱商事が最大株主として44.9%を出資し、プルタミナ、KOGAS、メドコによる合弁会社、DSLNGが設立された。

 だが、天然ガスなどの資源輸出政策はポピュリズムに訴えやすいことから、与野党の政策の争点とされることが多くなり、政府承認が予定より大幅に遅れるというトラブルに見舞われた。しかし三菱商事は粘り強く政府との交渉を続け、合弁会社が地道に準備を進めてきた。この努力の結果、予定から2年遅れの2010年12月、政府から開発の承認がようやく降りた。

 とはいえ、DSLNGはLNG開発のオペレーター経験がない企業ばかりのノンメジャーの多国籍チーム。苦難は続く。

 まず、多国籍な社員が350人以上在籍する合弁会社は、文化や価値観の違いによるすれ違いが日常茶飯事。しかも、LNG基地の安全基準づくりや操業マニュアルづくりなど、すべてをゼロから作り上げる必要がある。それでもめげることなく、メジャーから熟練エンジニアを引き抜くなどで、これらの準備を着々と進めた。

 政府から承認を得てから生産開始まで、約5年かかった。2015年8月2日。LNGの初出荷を祝う式典には、インドネシアのジョコ・ウィドド大統領も出席。記念すべき出荷1隻目となるLNG船は、来場者が見守る中で無事に港を出た。現在は、KOGASや日本の電力会社に、LNGをここから出荷している。

 当初はノンメジャーのアジア勢で取り組んだDSLNGでの経験とノウハウが、まだ世界中に眠っている、石油メジャーが手を付けない中小規模ガス田開発に中長期で生かしていく計画だった。だが、三菱商事がスラウェシ島のガス田開発の端緒をつかんでから約10年。世界の資源市場は様変わりしてしまい、この目論見はやや崩れつつある。

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